ヴァント指揮ケルン放送響のブルックナー交響曲第3番&第4番を聴いて思ふ

bruckner_3_wand_1981254風光明媚な真夏のレマン湖の記憶。
かつて何度か訪れたスイス、ジュネーヴの風景は、ギュンター・ヴァントのブルックナー、それも交響曲第3番ニ短調や交響曲第4番変ホ長調の心象だ。ブルックナーの音楽は旅先で遭遇した自然と見事に同期する。

少し透明感を欠く動的な演奏。ダイナミクスもどちらかというと後期ロマン派風の味付けがなされており、この人が晩年に至った純白の境地とは一線を画す。70年代から80年代初頭にかけてヴァントがケルン放送交響楽団と録音したブルックナーは、第4番などもレーヴェ改訂版の言い回しを採用したのではないかと思えるようなフレージングと旋律の歌わせ方多々。音楽は実に濃厚で、またうねり、少々「うるさく」感じるシーンもあるが、それでもギュンター・ヴァントのブルックナーであることに違いなく、聴き応え十分。

なるほど、少なくともこの時代のヴァントのブルックナーは女性的だ。

男性をしばしば凌駕する女性の予知能力は、男性にとって必要な警告を与えることもある。個人的なものに対して発揮される女性の感情は、個人的なものにはあまり関心を寄せぬ男性の感情が発見できないようないろいろな道を示すことができる。
カール・グスタフ・ユング著/野田倬訳「自我と無意識の関係」(人文書院)P110

ユングは「ここに紛うかたなく、魂(ゼーレ)の女性的特質にとっての主要源泉の一つがある」と断言する。どんな男性も自分の内に女性的なるものを持っているのだと。

ブルックナーの音楽は基本男性一辺倒であると僕は思う。本来異性の入る余地などないのだが、時に女性的なものが闖入した時、音楽は極端に矮小化するか、あるいは逆にインスピレーションに溢れる天国的な癒しの音楽と変貌する。ここでのヴァントの場合、良くも悪くも「女性的特質」に満ちる。

ブルックナー:
・交響曲第3番ニ短調(1889年版)(1981.1.17録音)
・交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」(1976.12.10録音)
ギュンター・ヴァント指揮ケルン放送交響楽団

bruckner_4__wand_1976255ニ短調交響曲終楽章アレグロの激烈な響きはいかばかりか!コーダ手前の金管の咆哮と、コーダに入っての前のめりの音楽作りは円熟期のギュンター・ヴァントならでは!
それにしても、変ホ長調交響曲終楽章の宇宙の鳴動が、(僕の耳には)極めてこじんまりとした人間ドラマと化しているのはあまりに残念。金管群に人間臭さを感じさせるところにその原因のひとつがあろうが、それでも仮に実演で触れたならば納得、感動を喚起するものであったろうことは想像に難くない。

当時のギュンター・ヴァントは語る。

これらの録音に耳を傾けると、私が厳格な「トレーナー」で、西部ドイツ放送のオーケストラはいつも「反抗的」と思われているのに、音楽の進んでゆく雰囲気がどこか落ち着いた、調和のとれたものになっていることに気づいて驚かれることでしょう。実際そのとおりに事が進んでいったのです。もちろん望む成果を得るまでには、多くのことを集中的に試みなければなりませんでした。
ヴォルフガング・ザイフェルト著/根岸一美訳「ギュンター・ヴァント―音楽への孤高の奉仕と不断の闘い」(音楽之友社)P272

やっぱりヴァントのブルックナーは女性的だ。

 

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