クリップス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管のモーツァルトK.201(1973録音)ほかを聴いて思ふ

mozart_symphonies_krips126モーツァルトの晩年の多大な借金は、浪費家である妻コンスタンツェの使う金を工面するものだったという説がある。寿命を縮めるくらいに精神的に追い詰められ、それでも妻のために奔走したのだと考えるなら何と健気な・・・。
そういうことが、コンスタンツェを悪女とするイメージを僕たちに抱かせるが、モーツァルトの死後、コンスタンツェは彼の借金をきちんと返したというのだから素敵だ。当り前のことだけれど、それはなかなかできないこと。父レオポルトから猛反対された結婚だったけれど、二人は本当に幸せだったのだと思う。

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは真面なのか変人なのかわからない。
聖なるものと俗なるものの二面性。あるいは、無垢と汚れの表裏。音楽を聴く限りにおいて、それは明朗さの中にほんの少しの翳りとして現れる。苦悩を他人には見せないヴォルフガング。

時間の恩恵を考え、それでいて太陽のありがたさをまったく忘れてしまうことがないならば、ぼくはありがたいことに健康であることは確かです。でも第二の命題はすっかり違ったものになります。太陽の代りに月を、恩恵(グンスト)の代りに芸術(クンスト)を置くとしましょう。
(1773年8月21日付、姉ナンネル宛)
柴田治三郎編訳「モーツァルトの手紙(上)」(岩波文庫)P34

とても17歳とは思えぬ思考。彼は自然の運行の神秘を知っていたのだと思う。
しかし、その直後の手紙は、いかにも少年という半ば悪ふざけの混じった筆致。こういうところがまた面白い。

ヴォルフガングちゃんは手紙を書く暇がありません。何もすることがないからです。蚤のたかった犬のように、部屋の中でぐるぐる歩き廻っています。・・・
(1773年9月8日付)
~同上書P35

ただし、何もすることがないのに手紙を書く暇がないというのは不思議だけれど。

ヨーゼフ・クリップスのモーツァルトを聴いた。
古き佳き時代の典雅な響き。こういう前世紀的浪漫の色合い薫るモーツァルトが僕は好き。

モーツァルト:
・交響曲第26番変ホ長調K.184(161a)(1973.9録音)
・交響曲第27番ト長調K.199(161b) (1973.9録音)
・交響曲第28番ハ長調K.200(189k) (1973.9録音)
・交響曲第29番イ長調K.201(186a)(1973.6録音)
ヨーゼフ・クリップス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

クリップスの繰り出す音は、触れると壊れそうなくらい何とも儚い。
しかし、宙からふわっと取り出すように流れる音楽の妙は、ブルーノ・ワルターやカール・ベームにはない自然さ。

例えば、(1774年4月6日に完成した)イ長調交響曲第1楽章アレグロ・モデラートの弱音部の柔らかさ。また、強い音の部分でも決してうるさくならない優しさ。第2楽章アンダンテの美しさに時間を忘れてしまうほど。そして第3楽章メヌエットの力強い愉悦と終楽章アレグロ・コン・スピーリトの悠然たる進行には、最晩年のクリップスの自身がうかがえる。
(1773年3月30日、ザルツブルクで完成をみた)変ホ長調交響曲は、第1楽章モルト・プレストと第2楽章アンダンテの明暗の対比が素晴らしい。少年モーツァルトの憂愁に涙するのも良かろう。

ヨーゼフ・クリップスは他人に尽くした人だという。
エリーザベト・シュヴァルツコップも「一番お世話になったのはクリップス」だと述懐する。なるほど、彼のモーツァルトにある余裕というのは、多くの人たちの感謝からなるものなのだろう。感謝の人に感謝の人あり。

 

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