ヘフリガー プライ リアー テッパー エンゲン リヒター指揮ミュンヘンバッハ管 J.S.バッハ ヨハネ受難曲BWV245(1964.2録音)

聖凡合一というのかどうかわからないが、今や凡事の中に聖はあり、逆に、聖なる業に携わろうと凡事に振り回されるなら、その聖は形だけであって、そこには実はない。
それだけ心の問題が身近になっている証なんだと思う。

昔は修業といえば、凡事・俗世間を離れ、山に籠って成すものだった。
音楽でいうところミサ曲などは、あくまで教会の典礼の中で奏されるもので、それを俗世間に引っ張り出そうとしたのはおそらくベートーヴェンだと思うが、その思いも当時はなかなか浸透せず、物理的にもとても難しい時代だったようだ。

その晩年、ベートーヴェンもバッハやヘンデルを規範としてフーガなど作曲技法を学んだ。
音楽の変革の起点(コペルニクス的転回という意味で)はベートーヴェンだと常々僕は思うのだが、一世紀前のバッハの中にもそういうものは既に存在していた。
だからこそ、バッハの教会音楽には聖なるものだけでなく、凡事(俗なるもの)も混淆していた。そのことを早くから見抜き、演奏に反映させたのはカール・リヒターであり、はたまたグレン・グールドではなかったか。

リヒターによって残されたバッハの演奏は、崇高な、聖なる響きの他に、実に人間的な慟哭や、大いなる喜び、そして感情が激しく揺れ動くほどのパッション(情熱)が刻印される。
なるほどパッション(情熱)には、もう一つ重要な意味が含まれる。
そう、「受難」である。

もう何十年も繰り返し聴く、カール・リヒターによるバッハの「マタイ受難曲」、そして「ヨハネ受難曲」、いずれもが決して飽きることのない、精神に大いなる充足を与えてくれる人類の至宝だ。

ここのところ、礒山雅さんの遺作たる「ヨハネ受難曲」を片手に、リヒターの「ヨハネ受難曲」を昼夜暇があれば聴いている。ようやくその意味と意義が、その深みが僕にもついにつかめてきたように思う。

・ヨハン・セバスティアン・バッハ:ヨハネ受難曲BWV245
エルンスト・ヘフリガー(エヴァンゲリスト、下役、アリア:テノール)
ヘルマン・プライ(イエス:バリトン)
イヴリン・リアー(下女、アリア:ソプラノ)
ヘルタ・テッパー(アリア:アルト)
キート・エンゲン(ペテロ、ピラト、アリア:バス)
ヘトヴィヒ・ビルグラム(オルガン)
ミュンヘン・バッハ合唱団
カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団(1964.2録音)

第1曲合唱は、もちろん「ヨハネ」の顔であり、ここにこの曲のすべてが集約されるといっても過言ではない。何という劇的な、それでいて崇高な(まさに聖凡合一の)名曲だろうか。

しかし、僕がはたと膝を打ったのが、第4曲聖書場面「抜刀するペトロをイエスが諫める」(「ヨハネ福音書」第18章9-11節)だ。礒山さんは次のように書く。

成就したのは、「あなたが与えて下さった人を、私は一人も失いませんでした」という言葉であるという。完全に同じセンテンスは聖書に見あたらないが、もっとも近いのは、ヨハネ福音書第6章の次の部分である。「わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである」(第38-39節)。
礒山雅「ヨハネ受難曲」(筑摩書房)P188

僕たち一人一人が原霊であり、創造主の御霊を分けいただいていることの証左だ。
そして、ここでいう「終わりの日」とは宇宙時間でいうところの大清算の時期たる現代のことを指すのだろうと思う。復活というよりも、一人残らずもと来たところに帰る日が迫っているのである。

レチタティーヴォに次ぐ第5曲コラール「主の祈り」の重厚な荘厳さ。

御心が実現しますように、神なる主よ、
地上でも、また天国でも。
苦難の時に忍耐を与えてください、私たちが
愛と苦難の中で従順であるように。
すべての肉と血を妨げ、制してください、
それが御心に背くならば。

~同上書P192

ここでバッハは、そしてリヒターは聴く者の心を鷲掴みにする。

思わず唸るのが、イエスの鞭打ち前の(意外な)瞑想たる第19曲バス・アリオーソの、悲哀というより何と慈しみに満ちた音楽であることか。

束の間の安寧から、イエスの死、そして埋葬へと音楽が進む中で、何と神々しい力が漲っていくことか。
イエスの死の報告の後の第32曲バス・アリアとコラールの厳かな美しさ。
(総じてキート・エンゲンのバス歌唱が核となる)

そしてやはり第39曲合唱の神々しさ。

この曲が《マタイ》の終曲と共有しているのは、トンボー(フランス起源の追悼曲)としての性格である。ゆるやかな4分の3拍子の流れ、ハ短調という調性、埋葬にアイデアを得たと思われる下降音型の支配、2つのエピソードをもち、主部が三たび回帰するロンド風の構成といったことが、共通点としてみてとれる。
~同上書P401

礒山さんの指摘通り、音楽がこの部分に至ったとき、僕は必ずいつもほっとする。
(ようやく許に帰れる安心感が自身の心底から湧き上がるのである)
そして、いよいよ(なくもがな?の)終曲コラールにつながるのだ。

バッハの《ヨハネ受難曲》は、いかにも告別を思わせる合唱曲の後に、四声コラールを置いて終曲とする。《マタイ受難曲》に親しんでから接すると、わざわざ付け加えなくても、と思える重ねである。しかもその書法は簡素で、取り立てての工夫は見られない。
しかしこのコラールが、まことにすばらしいのである。

~同上書P408

復活(つまりすべての原霊がもと来たところに帰るとき)を見据えてのこの短いコラールは確かに美しい。(16,7世紀には葬儀で移行された曲らしい)

時到らば、死から私を目覚ませ、
この目で、あなたにまみえさせてください。

~同上書P408

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