ヴォルフガング・ワーグナーは、カルロス・クライバーが突然バイロイトに来ることを喜んだ。「彼は何の前触れもなしに、どこからかやって来て、背後で練習を見ていることがありましたよ」。クライバーのバイロイト客演については、とうに機が熟していたことがわかる。
~アレクサンダー・ヴェルナー著/喜多尾道冬・広瀬大介訳「カルロス・クライバー ある天才指揮者の伝記 上」(音楽之友社)P399
1974年、カルロス・クライバーはついにバイロイト音楽祭に登場した。
カルロス・クライバーは、《トリスタンとイゾルデ》を集中的に、そして完全に新しく勉強し直した。何か月も総譜について考え続け、ワーグナーの自筆譜と総譜を見比べ、数え切れないほどの間違いを見つけ、自筆譜をもとに自らの総譜を訂正していった。その研究と同時に、これまでの《トリスタン》の録音も分析した。フルトヴェングラーによる有名な1952年の録音には、歌手については相当の留保があり、クライバーの好みと合わない要素もあったが、クライバーは大きな感銘を受けた。クライバーは、フルトヴェングラーの荘重な重量感に頼ることなく、フルトヴェングラー同様の表現力豊かなドラマ性、そしてはるかに多くの弱音部、透明性、きびきびとしたテンポに至った。さらにクライバーは、フルトヴェングラーよりもずっと楽譜に忠実でなくては、と思い続けていた。
~同上書P400-401
カルロスの研究熱心さ、その実情を知るにつけ、彼が極端にレパートリーを絞っていった理由がよく理解できる。これほどまでに徹底した勉強をしても最後まで自信を持つことができないというその思考スタイル(性質)は天才の最たるもので、誰も真似のできないものだと思う。
フルトヴェングラー指揮フィルハーモニア管 ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」(1952.6録音)を聴いて思ふ楽員の多くは、この熱狂的な《トリスタン》に夢中になった。クライバーが楽員に特別な希望を伝える時は、次のような短い私信を書けばよかった。「尊敬する教授、あなたこそは偉大な芸術家です。あなたがわたしの《トリスタン》で演奏してくだされば、たいへんうれしく存じます」。イングリッシュ・ホルン奏者ディートマー・ケラーは、「それに続くのは、クライバーの数多くの『要求』でしたけどね」と語る。バイロイトのオーケストラは、クライバーが自分の要求すべて、そして何よりもその稀有なバトン・テクニックに慣れるまで、クライバーの側に合わせねばならなかった。
~同上書P410
まるでキングである。
しかし、聴衆だけでなく、楽員さえも夢中にさせたかの「トリスタン」は、今もって最高の瞬間を僕たちに与えてくれる。
第1幕前奏曲から釘付け。
ドイツ・グラモフォンのスタジオ録音を凌ぐ、瑞々しさとエネルギー。ライヴのクライバーの生気溢れる没我の「トリスタン」!
また、幕が進むにつれて俄然熱を帯びる、たった今生まれたばかりのような「トリスタン」!
特に、第2幕のトリスタン(ブリリオート)とイゾルデ(リゲンツァ)の官能のやりとりはもはや筆舌に尽くし難い。
そして、終幕の、怒涛のクライマックスたるイゾルデの愛の死に至るリゲンツァの力ある歌唱にその場に居合わせた聴衆は金縛りに遭ったかのようではなかろうか。
幕毎の聴衆の喝采がまた素晴らしい。
1974年7月25日、《トリスタンとイゾルデ》のバイロイト・プレミエが行われ、クライバーは「成功の階段」を登り詰めた。クライバーのキャリアは、いまや輝かしく昇ってゆくばかりのように見えた。彼が音楽界にセンセーションを巻き起こしたことは、疑いの余地がない。だが、新聞各紙の大見出しをクライバーと争ったのは、プレミエを聴いた聴衆の一人、サッカー選手のフランツ・ベッケンバウアーであった。
~同上書P410
結局わずか3年のカルロス・クライバーのバイロイト音楽祭での指揮だったわけだが、後世に語り継がれる奇蹟のパフォーマンスの正規録音のリリースを切に願う。
CARLOS KLEIBER “I am lost to the world” (2011)を観て思ふ カルロス・クライバー指揮バイロイト祝祭管のワーグナー「トリスタンとイゾルデ」(1975Live)を聴いて思ふ カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィルのR.シュトラウス「英雄の生涯」ほかを聴いて思ふ カルロス・クライバー指揮シュターツカペレ・ドレスデンのワーグナー「トリスタンとイゾルデ」を聴いて思ふ