アルゲリッチ デュトワ指揮ロイヤル・フィル チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番ロ短調作品23(1970.12録音)

マルタ・アルゲリッチはライヴに限る。
1984年だったか、あるいは85年だったか、小澤征爾指揮新日本フィルの伴奏で彼女がチャイコフスキーの協奏曲を弾いたとき、マルタの奔放な、自由自在な独奏に、小澤がついて行くのに必死で、崩壊寸前とまでは言わないが、さすが小澤、小澤でなければこんな丁々発止の、聴衆に瞠目すべき興奮をもたらす演奏は不可能だっただろうと思わせてくれた、文字通り手に汗握る音楽が奏でられたことを僕は今でもはっきり思い出す。(あの日、あのとき、会場に居合わせることができた人は)未だにあのときの演奏を凌駕するチャイコフスキーの演奏を聴いたことがないと思っているだろう。

マルタ・アルゲリッチが最初に録音したチャイコフスキーの協奏曲が、本人的には不本意のものだったことを知ったとき、正直僕は吃驚した(素晴らしい演奏ゆえ)。

同じ年、シャルル・デュトワは彼女にチャイコフスキーの協奏曲第1番を録音させようとした。「説得は至難のわざだったよ!」マルタは頑として拒絶した。彼はあきらめなかった。彼女は意地になっていた。これほどヴィルトゥオーソ的な曲を弾ききる腕の持ち主がいるとすれば、それは彼女以外にありえなかった。が、つねに凝り性な彼女はその協奏曲を演奏することによる利点を見いだせず、たとえ難曲を完璧に演奏できるとわかってはいても、どうしても弾きたいと思うだけのものを感じなかったのだ。シャルル・デュトワのほうはスタジオとオーケストラを確保し、思いどおりになると疑いもせずにいたが、そんなタイミングで自動車事故に遭ってしまった。コルセットをつけさせられて身体の動きは不自由になったが、そのおかげでピアニストの情につけこみ、文句をぶつぶつ言いつづける彼女を連れ、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団が二人を待ち受けているイギリスのスタジオへ行くことができた。それが気まぐれや単なるポーズでなかった証拠に、彼女はその演奏活動においてその協奏曲を6回しか弾かなかった。が、レコードは世界中で話題となり、炎とオクターブによるピアノを愛する音楽ファンはいまだに恍惚としている。ウラディミール・ホロヴィッツを例外として、いまだかつてチャイコフスキーの第1番をあれほどの狂気、あれほど楽器の限界を越えた演奏で聴かせた者はいない。あれはヴィルトゥオーソを凌駕した何かだ。
オリヴィエ・ベラミー著/藤本優子訳「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」(音楽之友社)P189-190

いわば様々な偶然によって生み出された産物だということだが、確かにこの録音には、若きマルタ・アルゲリッチによる、類稀なる火を噴くピアノ演奏が刻まれる。

第1楽章、管弦楽の提示部から圧倒的な音圧を誇り、続いて出されるピアノ独奏も、まるで戦場に挑む女豹のような鋭い眼光を放つ。

・チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番ロ短調作品23
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
シャルル・デュトワ指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(1970.12.17-18録音)

ロンドンは、クロイドン・フェアフィールド・ホールでの録音。
アルゲリッチはライヴに限ると書いたのだけれど、この最初のスタジオでの録音を聴いて、彼女の弾くチャイコフスキーは猛烈な音楽的勢いと推進力を持ち、同時に哀愁や情感や、人間感情の細かい機微までを見事に表現しており、本人の意思とは別に、天意が働いたような音楽になっており、これぞ人類の至宝だとあらためて感心した。

まさに音楽のミューズが乗り移り、否、天が彼女の身体をパイプにして作曲家自身が演奏するかのような(いや、それ以上のものか)人間業と思えない奇蹟がここにある。
第2楽章アンダンティーノ・シンプリーチェにある大自然からの癒し、そして疾風怒濤の終楽章アレグロ・コン・フォーコは、後のライヴに比較するともちろん抑制気味だが、それでも安心してこの作品に身を委ね、堪能できる逸品として後世に残すべきものだと思う。

アルゲリッチ コンドラシン指揮バイエルン放送響 チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番(1980.2Live) アルゲリッチ独奏アバド指揮ベルリン・フィルのチャイコフスキー(1994.12Live)を聴いて思ふ アルゲリッチ独奏アバド指揮ベルリン・フィルのチャイコフスキー(1994.12Live)を聴いて思ふ 焼酎を呑むとアルゲリッチが恋しくなる 焼酎を呑むとアルゲリッチが恋しくなる

ちなみに、1975年のデュトワ指揮スイス・ロマンド管弦楽団とのライヴ映像も出色(離婚前後の共演だろうか)。

後年、シャルル・デュトワは、アルゲリッチとの結婚について語っているが、これがまた実に興味深い。

20世紀の音楽界におけるもっともセレブな結婚だったが、たった6年しか続かなかったし、デュトワはこのことについて話すことはなかった。「マルタ・アルゲリッチは素晴らしい女性で、芸術家だ。いまでも彼女のことは愛している。しかし彼女と生活をするのはとても難しい。彼女は人と違う生活を送っている、午後に起き、朝までコーヒーを飲みながら友達たちと話をしているんだ。私もあまり忙しすぎなかったときはそれを楽しんだ。でも朝10時からリハーサルがあるっていうようなときに、これはうまく行かないと気がついた。別れることにしたときも、つらいことは全くなかった。朝11時に離婚して、ランチを食べて映画をはしごした」
ねもねも舎「アルゲリッチとの結婚について語るデュトワ」

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