セーゲルスタム指揮トゥルク・フィル ショスタコーヴィチ 交響曲第7番ハ長調作品60「レニングラード」(2017.4.6Live)

今や世俗の情報に疎い僕は、レイフ・セーゲルスタムが昨年10月に亡くなっていたことを今知った。トゥルク・フィルとのベートーヴェンの珍しい作品集やシベリウスの交響曲ツィクルスの映像など、その巨躯に比例するかのような堂々たる演奏(それは決して晩年のクレンペラーのようにユックリズム主体の演奏だという意味ではない)に僕はいつも心奪われていた。

セーゲルスタム指揮トゥルク・フィル シベリウス 交響詩「タピオラ」(2015.10.8録音) セーゲルスタム指揮トゥルク・フィル シベリウス 交響曲第6番ニ短調作品104(2015.12.11Live) セーゲルスタム指揮トゥルク・フィル シベリウス 交響曲第7番ハ長調作品105(2015.12.11Live) セーゲルスタム指揮トゥルク・フィル シベリウス 交響曲第4番イ短調作品63(2015.12.10Live)

数年前、読響に客演し、シベリウスの交響曲第2番が披露された伝説の(?)コンサートに残念ながら僕は参戦することができなかったことが、今となっては悔やまれる。

ショスタコーヴィチを聴いた。

セーゲルスタムの奏でる音楽は、彼の見た目とは裏腹に実に繊細だ。
「レニングラード」交響曲には勝利の雄叫びの如くの咆哮が随所に見られ、同時にそこには悲哀の念も刻印される。オーケストラの強烈な集中力と、指揮者の巨体から発せられるオーラに僕は言葉を失う。

何と素晴らしい音楽なのだろう。
楽章を追うごとに盛り上がり、解放されていく様子は、セーゲルスタムならではの統率力によるものだろう。
楽員たちの個々の力量もさすがのもの。

上田敏全訳詩集からツルゲニエフの散文詩のなかの祈禱。

人間の祈は、ねぎごとの何なるを問はず、すべて皆奇蹟を祈るなり。
詮ずるに、なべての祈はかくの如し、大なる神よ、二二が四たること無からしめ給へ。
かゝる祈のみこそ人格ある者より人格ある者に對する眞の祈なれ。宇宙の靈に祈り、上天に祈り、カントの、へエゲルの、實體無形の神に祈らむとはあり得べきことにもあらず、また考ふる能はざることなり。
されど敢て問はむ、形あり命ある人格の神なりとも、二二が四たること無からしめ得べきか。
然り、得べしと信者は答へざるべからず、またみづから信ぜざる可からず。
されど理性が、人をして此不條理に反抗せしむる時はいかに。
この時大沙翁來り助く、曰く、天地のあひだ外にくさ〲の事あり、噫ホレイシオ、しかじか。
されど人々眞理の名によりてなほも駁し來らむには、かの高名の問を繰返すに如かず、曰く眞理とは何ぞ。
さればわれら盃をあげて樂まむ、而して祈禱せむ哉。

山内義雄・矢野峰人編「上田敏全訳詩集」(岩波文庫)P170-171

2024年10月9日、レイフ・セーゲルスタム没。享年80(指揮者としてはまだ若い)。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む