ランチタイムコンサートVol.131 特別企画 湯本亜美 Frei Aber Einsam—ブラームスという人

実に芯のある、しっかりとしたブラームスだった。
何よりその音の厚み、音圧に感動した。もちろん隅から隅まで音楽的で、充実の1時間。
「自由なれど孤独に」というサブタイトルが付されたコンサートはランチタイムにもかかわらず満員御礼。終始熱気にあふれた会場の期待に応えるように二人の奏者は絶妙なやり取りを繰り広げていた。

兼重の、ブラームスらしい堂々たるピアノは決して伴奏ではなかった。
時にピアノ・ソナタであるかのような響きを出し、それに負けじとヴァイオリンも華麗な独奏を魅せてくれた。

F.A.E.ソナタは、若きブラームスがそのスケルツォを書いたものだが、ディートリヒやシューマンの筆致に見事に溶け込んでいながら、すでに巨匠の域にあるかのようながっちりとした構成の、聴きどころ満載の作品であり、湯本の演奏もブラームス好きとあって心から共感に溢れるものだった。

最中、僕はうっかり夢の中にあった。
気がついたらロベルト・シューマン作曲の終楽章の最後のところだった。
聴衆の大きな拍手の中で僕は覚醒した。
昼間から夢に誘うだけの力のある作品は、ヨーゼフ・ヨアヒムのために作曲された音楽であり、それは浪漫の誇りだ。音楽はそれこそ自由に飛翔する。ただし、決して孤独ではない。師ロベルト・シューマンとの共同作業に、弟子のアルベルト・ディートリヒも、そして知己を得て間もないヨハネス・ブラームスも欣喜雀躍しているように思われる。そんな喜びに満ちた演奏だった。

円熟期の傑作、老練のソナタ第3番は一層素晴らしかった。(この間、もちろん僕はずっと覚醒していた)
F.A.E.ソナタ同様、奏者のブラームスへの共感が並大抵でない。
(ご本人もブラームスの音楽が自分にとって昔から特別なものだったと語っている)
(それにシュターツカペレ・ドレスデンで第2コンサートマスターとしてブラームスの交響曲やドイツ・レクイエムを演奏したことは素晴らしい経験だったそうだ)

第1楽章アレグロは、ブラームスにしては珍しい(?)透明感ある美しい旋律が横溢するもので、実に発揚力高い、充実の表現に冒頭から思わず惹きこまれた。続く第2楽章アダージョの懐かしい音楽から醸される滋味、あるいは慈味は若きヴァイオリニストから紡ぎ出されたものと思えないほどのもの(名演!)。そして、第3楽章ウン・ポコ・プレスト・エ・コン・センティメントの文字通り感傷が胸に刺さる。
何より、終楽章プレスト・アジタートの解放感の素晴らしさ。さすがに世界的オーケストラの第2コンサートマスターを務めるだけあり、造形力とアンサンブル力の確かさが演奏の端々から垣間見ることができた。充実のヨハネス・ブラームス。
アンコールはなし。

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