
初演者だからといってそこに「絶対」があろうはずはないが、第1番と第15番を除く13曲の作品を初演している以上、そこには作曲家の「絶対的」信頼はあったのだろうと思う。
ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲の特徴は、限りない多様性である。全体としては古典的様式を基礎としながら、交響曲的緊張と集中と転換の手法を最大限にとりいれ、一方では内的な劇的葛藤を表出し、他方では知性的、哲学的表現に達している。そこには彼の交響曲と同様に、各曲に生れたその時期のソ連社会生活の複雑な諸側面を反映している。彼の弦楽四重奏曲が、あるいは鋭い戦いを、あるいは深い沈潜を、つねに高貴に表現しながら、そのなかに人間の理性の勝利への確信がうかがえるのは、そうした理由によるといえよう。
(井上頼豊)
~「作曲家別名曲解説ライブラリー15 ショスタコーヴィチ」(音楽之友社)P189
実に的確な評だと思う。
抑圧された社会生活と密接に結びつきながら、自身の内面を吐露したという点では交響曲以上に個人的な意味を持ち、しかも音楽が(時間という意味でも空間という意味でも)広大な、発展的小宇宙を見事に形成しているのだから面白い。
(15曲すべてが連綿とつながるコスモスを形作る)
交響曲第8番と(構想的に)相似形だという1946年の弦楽四重奏曲第3番ヘ長調。
しかし、交響曲のようにここには暗澹たる悲劇性は薄い。むしろ第1楽章アレグレットなど愉悦を秘め、それがまたショスタコーヴィチらしい諧謔的な様相を示すことが興味深い。それゆえに音楽の進行と共にソヴィエト社会に適合できるかどうかの不安のような心境も垣間見え、最後は苦難と苦悩を乗り越える(終楽章モデラート)。音楽という癒し。
未来への希望は続く1949年の弦楽四重奏曲第4番ニ長調に引き継がれる(第1楽章アレグレット)。
そして、第2楽章アンダンティーノの、ロシア・ロマノフ王朝的哀愁を帯びた音調から徐々にエレジーと化すショスタコーヴィチの魔法がまた堪らない。
また、第3楽章アレグレットの、内緒の話のようなショスタコーヴィチの内に向かうお道化に感化され、続く長大な終楽章アレグレットの真面目な緊迫感、緊張と弛緩の連続を見事に表現し切る(作曲家と一体になった)カルテットの技量に感服する。名曲の名演奏。
ショスタコービッチの弦楽四重奏曲の演奏の歴史は、第1番と第15番以外のすべての曲を初演したベートーヴェン弦楽四重奏団の演奏活動と密接なかかわりをもっている。
ショスタコービッチと四重奏団のメンバーたちとの長年にわたる信頼関係は、彼の室内楽曲の初演を準備するにあたって、一定の慣例を生み出していた。「まず始めに彼が自分の新しい作品をスコアをもとにピアノで弾き、それから私たちにパート譜を渡し、いつも、くれぐれも彼の立会いなしでは練習に入らないでほしいといった。練習のプロセスを彼が重視したのは、新しい作品を点検するためとか、まして細部を手直しするためではなかった。—中略—それは作品についての自分の考えに演奏者の意識をより近づけるために必要欠くべからざることだったのだ。—中略—私たちの解釈はドミートリー・ドミートリエビッチの承認を得たものだった。」
(ドミトリー・ツィガノフ記「半世紀を共にして」、ソヴェーツカヤ・ムーズィカ誌。1976年第9号30~32ページ)
(小林久枝訳)
~ショスタコービッチ 弦楽四重奏曲集第1巻(全音楽譜出版社)P110
ツィガノフの言葉には真実がある。そして、大いなる自負がある。
悪かろうはずがない。



