
心眼を開かねば、真の悟りを得ることは不可能だ。
心の眼で見、本質を見抜く力を養おう。
私は勤勉であらざるを得なかった。私と同じように勤勉な人ならば、私と同じ程度のことはできるだろう。
(ヨハン・セバスティアン・バッハ)
バッハほどの謙虚さがあれば、確かに誰でも成功できそうだ。
バッハは数多のカンタータを書いた。
仕事とはいえ、その信仰の篤さは人類随一ではないかと思えるほど。
(あるいはその努力も人間業を超える)
待降節最後の日に、カンタータ。他でもない、カール・リヒターの名盤で打ち止め。
救世主生誕への人々の(文字通り)期待が音楽に込められる。
第1曲序曲(合唱)から得も言われぬ歓喜に溢れる。
第3曲テノールのアリアでは、シュライアーの切々とした歌唱に心が動く。
白眉はマティスの歌う第5曲ソプラノのアリアと、続く短いコラールだろう。
(信仰と喜びと)
第4曲アルトのレチタティーヴォから第5曲アリアに至る6分余りこそ頂点を成す。
何よりビュヒナー奏するヴァイオリンのオブリガートの美しさと、レイノルズの哀切満ちる歌唱があまりに美しい。
1714年のクリスマス当日に演奏されたカンタータは、実に祝典的雰囲気に溢れる。
(当然のことながら)
しかし、こちらは第2曲以降の内省的な二重唱にこそ意味と意義があるように思う。
(第3曲はマティスとディースカウの二重唱、そして第5曲はレイノルズとシュライアーの二重唱だ!!)
メシアの時代に民は相分かれる。
霊的な人々はメシアを受け入れたが、俗物どもは受け入れずに、メシアの目撃者として役立った。
「イエス・キリストの証拠」
~パスカル/由木康訳「パンセ」(白水社イデー選書)P307
今こそ大いにバッハのカンタータを聴こう!
