マティス シュライアー フィッシャー=ディースカウ リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管 J.S.バッハ カンタータ第61番「いざ来ませ、異邦人の救い主よ」BWV61(1970&71録音)ほか

心眼を開かねば、真の悟りを得ることは不可能だ。
心の眼で見、本質を見抜く力を養おう。

私は勤勉であらざるを得なかった。私と同じように勤勉な人ならば、私と同じ程度のことはできるだろう。
(ヨハン・セバスティアン・バッハ)

バッハほどの謙虚さがあれば、確かに誰でも成功できそうだ。
バッハは数多のカンタータを書いた。
仕事とはいえ、その信仰の篤さは人類随一ではないかと思えるほど。
(あるいはその努力も人間業を超える)
待降節最後の日に、カンタータ。他でもない、カール・リヒターの名盤で打ち止め。

ヨハン・セバスティアン・バッハ:
・(待降節第1日曜日のための)カンタータ第61番「いざ来ませ、異邦人の救い主よ」BWV61(1714)(1970.6&7; 1971.7録音)
エディット・マティス(ソプラノ)
ペーター・シュライアー(テノール)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バス)

救世主生誕への人々の(文字通り)期待が音楽に込められる。
第1曲序曲(合唱)から得も言われぬ歓喜に溢れる。
第3曲テノールのアリアでは、シュライアーの切々とした歌唱に心が動く。
白眉はマティスの歌う第5曲ソプラノのアリアと、続く短いコラールだろう。
(信仰と喜びと)

・(待降節第4日曜日のための)カンタータ第132番「道を備え、大路を備えよ」BWV132(1715)(1972.3&4録音)
エディット・マティス(ソプラノ)
アンナ・レイノルズ(アルト)
ペーター・シュライアー(テノール)
テオ・アダム(バス)
オットー・ビュヒナー(ヴァイオリン)
マンフレート・クレメント(オーボエ)

第4曲アルトのレチタティーヴォから第5曲アリアに至る6分余りこそ頂点を成す。
何よりビュヒナー奏するヴァイオリンのオブリガートの美しさと、レイノルズの哀切満ちる歌唱があまりに美しい。

・(降誕節第1日のための)カンタータ第63番「キリストの徒よ、この日を彫り刻め」BWV63(1714)(1970.6&7; 1971.6&7;1972.3&4録音)
エディット・マティス(ソプラノ)
アンナ・レイノルズ(アルト)
ペーター・シュライアー(テノール)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バス)
ピエール・ティボー(トランペットI)
パウル・ラッヒェンマイアー(トランペットII)
ヴェルナー・ビンダー(トランペットIII)
マンフレート・クレッテ(トランペットIV)
マンフレート・クレメント(オーボエ)
カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団&合唱団

1714年のクリスマス当日に演奏されたカンタータは、実に祝典的雰囲気に溢れる。
(当然のことながら)
しかし、こちらは第2曲以降の内省的な二重唱にこそ意味と意義があるように思う。
(第3曲はマティスとディースカウの二重唱、そして第5曲はレイノルズとシュライアーの二重唱だ!!)

メシアの時代に民は相分かれる。
霊的な人々はメシアを受け入れたが、俗物どもは受け入れずに、メシアの目撃者として役立った。

「イエス・キリストの証拠」
パスカル/由木康訳「パンセ」(白水社イデー選書)P307

今こそ大いにバッハのカンタータを聴こう!

マティス ハマリ シュライアー フィッシャー=ディースカウ リヒター指揮ミュンヘン・バッハ合唱団&管 J.S.バッハ カンタータ第178番BWV178「主なる神、われらがもとにあらずば」(1975-77録音)ほか レイノルズ シュライアー アダム リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管 J.S.バッハ カンタータ第12番「泣き、嘆き、憂い、怯え」(1973&74録音)ほか マティス レイノルズ シュライアー リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管 J.S.バッハ カンタータ第23番「汝まことの神にしてダビデの子よ」(1973&74録音)ほか マティス フィッシャー=ディースカウ リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管 J.S.バッハ カンタータ第68番「かくのごとく神は世を愛したまえり」ほか(1974&75録音) リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管 J.S.バッハ カンタータ第11番ほか(1973-75録音)

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