ピンチャー フィッツシモン マントヴァーニ パリ音楽院管 アンサンブル・アンテルコンタンポラン シュトックハウゼン グルッペン(2016.1.30Live)

クレンペラーの指揮者評が面白い。
辛辣な評を下す印象があるが、ヘイワースが挙げた、時代を代表する指揮者については概ね大いに認めているのである。
例えば、トスカニーニについて。

稀にみる音感覚と記憶力をもったすばらしい指揮者です。しかも根本的にもっとよい意味で率直でした。彼も作曲はしませんでしたが・・・。彼は自分が何を望み、どうすればそれが得られるかをはっきりと知っていた人でした。わたしは彼が望んでいるものに必ずしも賛成できなかったけれども、彼を非常に尊敬していました。わたしは彼のリハーサルに行きました。彼があの独特の音を作り上げるやり方は奇蹟でした。これが彼の身ぶりとなんらかの関係があるのかどうか、わたしにはわかりませんでした。わたしはトスカニーニのコンサートを何回も聴きました。ハイドンの『時計交響曲』—まったくすばらしいものでした。同じ頃、彼は何とかいうレスピーギの曲も指揮しました—たしか『ローマの松』という曲だったと思います。わたしにとっては、その曲はひどい作品でしたが、トスカニーニの演奏は驚くべきものでした。それから彼のワーグナーはとてもよかった。わたしはミラノで彼が『マイスタージンガー』を指揮するのを聴きましたが、それはもうすばらしかった。
ピーター・ヘイワース編/佐藤章訳「クレンペラーとの対話」(白水社)P208

トスカニーニ指揮ニューヨーク・フィル ベートーヴェン 交響曲第7番(1936.4Live)ほか トスカニーニ指揮NBC響 レスピーギ 交響詩「ローマの噴水」(1951.12.17録音)ほか

いかにトスカニーニがすごかったかがわかる。
(巨匠の実演に触れ得なかったことが残念だ)

また、メンゲルベルクについて。

メンゲルベルクは偉大な指揮者というよりはむしろすぐれたトレーナーでした。彼はオーケストラをいかに支配するか、その術を知っており、非常によい耳をもっていました。不幸にも彼は戦争中にいろいろと愚かなことをしました。ヒトラーがパリに入城したのち、ヒトラーに祝電を送ったといわれています。そのため、彼は戦後指揮することを許されず、スイスで死んだのです。
~同上書P211-212

メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管 マーラー 交響曲第5番嬰ハ短調から第4楽章アダージェット(1926.5録音)ほか

ある種オーケストラの独裁者であった彼を「トレーナー」としているところが興味深い。
(なるほどと膝を打つ)

そして、フルトヴェングラーについて。

ある日彼はベートーヴェンのある交響曲のための彼自身のテンポを、わたしにひいてくれました。それがとてもよかったので、これこそ生まれながらの音楽家だと思ったほどでした。・・・(中略)・・・しかし、フルトヴェングラーが非常によく理解していたものもあります。1933年にわたしがベルリンを去る直前に、フルトヴェングラーがいかに情熱的なテンペラメントをもってチャイコフスキーの第5交響曲を指揮したかを、わたしはとくによく覚えています。わたしは「それはドイツ的か」というワーグナーの言葉を思い出さなければならなかった。フルトヴェングラーがそんなにチャイコフスキーに関心をもっていたのはわたしには理解できないことでした。これが彼に会った最後でした。
~同上書P213-214

何とチャイコフスキーの第5交響曲だったとは!
まさに「ドイツ的」な第5番こそ、例の、決して世評の高くない、トリノでの巨匠唯一の実況録音なのだ。(「ドイツ的」という言葉が極めて相応しい名演奏)

フルトヴェングラー指揮RAIトリノ放送響 チャイコフスキー 交響曲第5番ホ短調作品64(1952.6.6Live)

あるいはストコフスキーについて。

敬服しています。最近テレビで彼の演奏を聴きました。彼は昔よりよくなっています。以前にはスタイルの点で少し奔放すぎた。バッハの『トッカータとフーガニ短調』のようなひどい編曲をしました。しかし彼が指揮する曲はみんな響きがいい。
~同上書P214

ストコフスキー指揮ニュー・フィルハーモニア管のチャイコフスキー第5番(1966.9録音)を聴いて思ふ ストコフスキー指揮ニュー・フィルハーモニア管のチャイコフスキー第5番(1966.9録音)を聴いて思ふ

言葉数は決して多くないが、クレンペラーはストコフスキーを賞賛していた。
極めつけはカラヤンのこと。

カラヤンは実に才能のある指揮者です。たとえばウィーンでイタリアの歌手を起用した『ファルスタッフ』の公演を聴きました。それはほんとうにすばらしいものでした。しかしルツェルンで聴いた第九交響曲は、これはひどかった。スケルツォのあとで、わたしは会場を出てしまいました。
~同上書P215

シュヴァルツコップ ヘフゲン ヘフリガー エーデルマン カラヤン指揮フィルハーモニア管 ベートーヴェン 交響曲第9番(1955.7録音)

クレンペラーがカラヤンの第九がひどいというのは、そのテンポが理由だった。
あまりにも速過ぎるのだと。
(果たして実際のところはどうなのか?)
(少なくとも今、個人的にカラヤンの第九を速過ぎるとは思わない)
(しかし、少年の頃の僕は、間違いなく「速過ぎる」と思っていた、否、誤解していた)

ちなみに、クレンペラーは、早くからブーレーズのことも評価していたようだ。

ブーレーズの世代では、彼は傑出した指揮者であり音楽家でもある唯一の人物だということは間違いありません。
~同上書P216

ブーレーズ指揮BBC響 ブーレーズ プリ・スロン・プリ~マラルメの肖像(1981.11録音)

バロック、古典から現代音楽、また前衛までクレンペラーのレパートリーは広い。
そして、音楽の審美眼についても実に正しいものをもっている。中でも、ブーレーズの指揮したシュトックハウゼンの「グルッペン」が素晴らしかったというのだから畏れ入る。

デイヴィッド・ロバートソン、ペーター・エトヴェシュ、そしてピエール・ブーレーズの3者が披露する1998年のライヴ映像があるが、それ以上に作品そのものを理解するのにうってつけが、2016年のピンチャー、フィッツシモン、マントヴァーニのライヴ映像だ。

風変わりな編成の、こういう現代音楽作品は実演に触れる以外に理解の方法はない。
本当は直に音に触れなければわかり得ないものだが、せめて映像でこうやって鑑賞すると、確かにシュトックハウゼンのやりたいことが目に見えてわかる。音楽のいわば枠たる時間と空間を超えようとするエネルギーとパッションに、そしておそらく音楽のけたたましい轟音に僕は圧し潰されそうになるだろうと予想し、心が打ち震える。

分散された音楽が一点に返って、一つになったとき、世界は変わる。
そこに存在する聴衆は、おそらく天国的な気分で音に浸っているのではないか。否、いかにも地獄的な気分かもしれないが。
(本人にそのつもりはなかろうが、「万法帰一」を象徴するような音楽的事件だといって良かろう)

成就 成就

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