クレンペラー指揮フィルハーモニア管 モーツァルト 交響曲第29番イ長調K.201(1954.10.8-9録音)ほか

芸術における天才の苦悩、あるいはスランプ。

ミューズの火が消えたとき、芸術家の生命が終るということ、そしてそれ以後は単に自己の創造を模倣する擬似的制作がつづいてゆくだけであること—それほどに芸術家を絶望に陥らせる状態はない。それは現実の死以上に芸術家を戦慄させるに足るものである。
「シャガールのなかの『聖書』の風景」
「辻邦生全集19」(新潮社)P139

音楽の世界でも、ロッシーニ、シベリウス等々、若くして筆を折った天才は多い。
僕などは、こういう人たちはあまりに自己批判精神が強いものだとばかり思っていたが、実際のところそれほど短絡的でまた単純なものではないのだろう。

われわれが芸術作品に触れ、そこに美的恍惚を味わうのは、かかる高揚した生命感覚が作品のなかに生きた形で保存されていて、それがじかにわれわれの魂に流れ込んでくるからだとも言える。あるいは、われわれのほうが、生命感覚の容器にも似た作品空間のなかに全身を浸して、生きたままの美的陶酔に同一化すると言ってもいい。
~同上書P150

辻さんの言は、あくまでシャガールにまつわるものだが、とても納得だ。
モーツァルトの作品などまさにその通りなのではないかと思う。

もはや死語になってしまった感のあるいわゆる「レコード芸術」(特定の雑誌を指すのでなく)。かつては時間をかけ、スタジオに籠って一つの作品を念入りに作り上げたレコード産業ももはや斜陽であるが、CD以前の、少なくともアナログ・レコードの時代は本当に凝った、(プロデューサーと演奏家が共同の)命を懸けた作品ばかりだった。

例えば、ウォルター・レッグとの共作たるオットー・クレンペラーのEMI録音。
中でも、モーツァルトの交響曲の、クレンペラーらしい堂々たる威風と、古典の枠をギリギリ逸脱しない造形のあまりの美しさ。

モーツァルト:
・交響曲第29番イ長調K.201(1954.10.8-9録音)
・交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」(1956.7,20, 23&24録音)
・交響曲第40番ト短調K.550(1962.3.8&28録音)
オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団

いぶし銀のモーツァルト!
イ長調K.201は青春の息吹を髣髴とさせるが、クレンペラーの老練の棒が、後期の作品の如きの香気を醸し、他にはない光輝を放つ。第1楽章アレグロ・モデラートの高貴な主題があまりに美しい。

第2楽章アンダンテの柔和な、夢見るような旋律はクレンペラーの真骨頂。
そして、重厚な第3楽章メヌエットの大人びた愁い。同時に広がりのある終楽章アレグロ・コン・スピーリトの豊穣な歌!

あるいは、クレンペラー渾身の「プラハ」交響曲!
序奏アダージョの暗澹たる音調から主部アレグロに入り突如として開かれる第1楽章こそ「保存された、高揚した生命感覚の魂への流入」の顕現だ。この、3つの楽章しか持たない傑作の、最高の名演奏の一つだろうと思う。

そして、もはや言葉で言い尽くせないト短調交響曲K.550の魔法。
全楽章を通じてこれほどの音楽の喜びを喚起する演奏があったかどうか。
ワルターの浪漫とは違う、あるいはデーモン宿るフルトヴェングラーのそれとも異なる、強いて言うならクレンペラーのよりナイーヴな(?)、だからこそ叩けば簡単に壊れそうな(?)音楽にモーツァルトの優しさを思うのである。

聖フランシスの場合もそうであるけれど、自分を切りすて切りすてした揚句、自分がまったく透明になって、そこに大自然が、実に楽しげに、おおらかに現出する場合がある。
鎌倉初期の高僧明恵上人と聖フランシスは、時をほぼ同じくして東と西に宗教的生涯を送ったというだけで、むろん内的な結びつきはどこにもない。
にもかかわらず、この作品に描かれた明恵上人の〈無心〉を見ていると、どこか、太陽をたたえ、動物たちに説法した聖フランシスのやさしさに似たものが、私たちの胸を明るくする。

「明恵上人像」
~同上書P200-201

音楽の秘訣はやっぱり無心と脱力なのだろうと思う。

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