堂々たるエゴイズム!!

異形のバッハだけれど、おそらく「この中」にいたらば、恐ろしいまでの感動を得られただろうと想像できる。少なくともスタイルや奏法や、そんなものを一気に超えた音楽の魔法がここにはある。
すごく大きな揺りかごに放り込まれて、そこにいる者たちがひとつになる。人智を超えた大いなるものに身を預けるような感覚。旧い録音の彼方から聞こえてくる音楽は、我々の想像力を刺激する。

昨晩、クナッパーツブッシュの1950年代初め頃のウィーン・フィルとのワーグナー録音を聴いた。こちらも最高音質ではないけれど、「人間らしさ」が至る所で垣間見えるクナの人間離れした超絶演奏であることを確認した。そして、ちょうど同じ時期、同じくウィーン・フィルハーモニーを振ってフルトヴェングラーがバッハを演奏した。夏のザルツブルク音楽祭の記録。何とも重い、そして実に「人間臭さ」溢れるバッハ。まったく透明感などそこにはない。種々の感情の坩堝。そこはかとない哀しみや、時に溢れんばかりの愉悦が錯綜する。

J.S.バッハ:
・ブランデンブルク協奏曲第3番ト長調BWV1048
・ブランデンブルク協奏曲第5番ニ長調BWV1050
ヨーゼフ・ニーダーマイヤー(フルート)
ヴィリー・ボスコフスキー(ヴァイオリン)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(ピアノ)
ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1950.8.31Live)

フェストシュピールハウスでの実況録音。当然音は・・・悪い。
しかし、フルトヴェングラー自らが独奏を受け持つブランデンブルク協奏曲第5番の何たるロマンティシズム!
指揮者が音楽そのものに没入し、バッハの音楽が膨張する。
バッハの意志というよりフルトヴェングラーのそれが全体を支配するが、そこにあるのは間違いなく音楽という「宇宙」。
もうひとつのコンチェルト・・・、第3番の堂々たるエゴイズム!(笑)。第1楽章の遅いテンポによる哲学的表現といい、終楽章の勢いある流れといい、「エゴイズム」という単語が咄嗟に浮かんだが、「音楽をする」のに「自我」なくして人を感動させられぬ、そんなお言葉をいただくような「大地」の音楽。嗚呼、何て素敵なのだろう・・・(これらは実演を聴いた僅かな人々にとって至宝に違いない)。

「エロイカ」は最初の一音からフルトヴェングラーそのもの。しかし、いかんせん音質がもう一つ。ならば、同曲異演盤があればこと足りる。


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