いつでも反応できるくらいオープンな柔軟性

ここのところまた頻繁に揺れる。
忘れた頃にまた大きいのが来るのかどうなのか、神のみぞ知ることであり、来たら来たまでと言い聞かせながら、それでも震度3くらいの揺れが来るたびに動揺する僕自身がいることも確かで、自分の「気の小ささ」を再確認する(笑)。
震災半年目の今日、初めて千鳥ヶ淵でボートに乗った。木陰にいると涼しい風に包まれて気持ち良いが、直射日光にさらされると大粒の汗が吹き出し、初秋の残暑が感じられた。都心にこんな素敵な場所があったのかと驚いた・・・。あの日からちょうど半年。米国の同時テロからは10年という時間が経過する。あっという間。この間に世界はどう変わったのか、日本はどう変化したのか。相変わらず大臣の失言問題が取り沙汰されるが、どこの世界も足の引っ張り合い。敵意をむき出しにすればするほど、結局その反動の煽りを食う。いたちごっこは終わらない。「許すこと」、真の意味で「寛容になること」は誰にとっても大きなテーマ。小1時間ボートに揺られながら考えた。

「・・・世界はもうすぐ変化に満ちた難しい時代をきっと迎えることだろう。人の心の中に潜んでいたある領域が表面に出てこようとしていることに、僕は興奮を覚えている。
古いヒエラルキーに縛られるのではなく、いつでも反応できるくらいオープンな柔軟性を持っていられるように、僕は探究し、準備を整えておきたい。
音楽における僕の未来は、もしそれがあるとすればの話だが、可能な限り様々なシチュエーションで繰り広げられることになるだろう。カテゴリーという枠を打ち破るアーティストの数が増えているのは嬉しいことだ。言ってみればそれは、狭い仕切りの中に閉じ込められて大きな収益をもたらす鶏と、放し飼いの鶏との違いである。
僕とバンド、あるいは僕とマネージメントとの間に憎悪関係はない。決定が下されたのはかなり前のことで、以来僕たちは新しい方向性についてずっと話し合ってきた。・・・」

上記は1975年、ピーター・ガブリエルがジェネシスを脱退する際のプレス声明文の抜粋。いつでも反応できるくらいオープンな柔軟性・・・、なるほど以降のガブリエルのソロ活動を知る僕たちからしてみると彼の直感の鋭さと脱退が自己中心的なものでなく、あくまで全体を見通した上での決断だったことに畏れ入る。

ここに長らく封印されていた(笑)アルバムがある。

Genesis Archive 1967-75

何と、Peter Gabriel時代のライヴ音源を中心にした4枚組セット!白眉はやっぱり”The Lamb Lies Down On Broadway(眩惑のブロードウェイ)”の完全ライヴ!!スタジオでの録音以上に活気があり、有機的な音の響きが素晴らしい。何より音の良さに唖然・・・。前後、途中のガブリエルのMCを含め、当時のジェネシスのステージがテクニック的な意味でも完璧だったことに驚かされる。「眩惑のブロードウェイ」はガブリエルが独断で詞を書き、他のメンバーはどちらかというとそっぽを向いていたという異色のアルバムだと解釈していたが、こういう演奏を聴かされるとメンバーひとりひとりが納得して演っているとしか思えない。まぁ、それこそがピーター・ガブリエル・マジックなのだろうけど・・・。


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