バルシャイ指揮ケルン放送響 ショスタコーヴィチ 交響曲第7番ハ長調作品60「レニングラード」(1992.9Live)

ショスタコーヴィチの回想。

交響曲第7番レニングラードを私はすばやく書き上げた。私は書かずにはいられなかった。私は国民とともにいて、戦っているわが国の姿を音楽に刻みつけたいと願った。戦争の初日から、ピアノの前に座って仕事を始めた。集中して仕事をした。私は勝利するために力と命を惜しまないわれわれの時代、現代についての作品を書きたいと願った。
仕事の合間に、私は通りにでて、痛みと誇りを胸に愛する街をみた。街は火事の炎で丸坊主になり、戦争の苦しみに耐えていた。レニングラードは闘っていた。それは勇敢な闘いであった。
1941年の末、私はこのシンフォニーをまさに一息で書きあげた・・・

ショスタコービッチ 交響曲7 “レニングラード”(全音楽譜出版社)P3

果たしてこの言葉が真実なのかどうか、疑わしい側面も今となってはあろうが、それでもこの壮大な作品が書かれるに至った動機が簡潔に書かれていて興味深い。

祖国の受難を、苦悩を、大祖国戦争を、戦闘でなく、音楽によって共感を得、共鳴から勝利をもたらそうとしたその意思を強く感じる作品であることに違いはない。

僕は、ふとバッハの「ヨハネ受難曲」を思った。

《ヨハネ受難曲》は、われわれに大きな感動を与えてくれる作品である。栄光に向かって歩むかに見えながら捕縛され、鞭打たれるイエス。十字架上で母と弟子に声をかけ、「成し遂げられた」という言葉を残して他界するイエス。そのさまをなすすべなく見守り、埋葬し、追悼する人々—。語られる出来事は特殊な1回限りのものだが、われわれはそれを眼前に見るがごとくに立ち会い、自分自身の苦難や死別の経験と照らし合わせて共感し、感動へと導かれる。その意味で《ヨハネ受難曲》は、わかりやすい作品である。
礒山雅「ヨハネ受難曲」(筑摩書房)P11

礒山さんの遺作となった論文の序章の冒頭にはそうある。
音楽の歴史はアウフヘーベンを繰り返しながら進化して来たのだろうが、その根源は信仰であり、生への希望と死への恐怖からいかに逃れるか、そういう思念にあったのだとあらためて思った。

激しい曲調と安寧を発露する静けさに満ちた音調と、すべてが混淆して織り成される傑作を前に、ショスタコーヴィチは「闘争」を描こうとしたのではなく、あくまでその最後に現われる天国的変容を形にしたかったのではないかと想像した。

今年生誕100年を迎えるルドルフ・バルシャイは晩年、師ドミトリー・ショスタコーヴィチの交響曲全集を遺しているが、そのいずれもが最高の名演奏であり、人類の至宝と言っても良いくらいに素晴らしい出来を示している。

・ショスタコーヴィチ:交響曲第7番ハ長調作品60「レニングラード」
ルドルフ・バルシャイ指揮ケルン放送交響楽団(1992.9Live)

中庸のテンポで、ナチュラルに表現される交響曲は、勝利の凱旋でもなければ、祖国の苦悩を単に分かち合おうとする共感・共鳴装置でもなさそうだ。おそらく「レニングラード」というその標題に僕たちは引っ張られるのである。先入観を横に置き、バルシャイが描こうとしたショスタコーヴィチの真の姿、それは戦争云々よりも人間の心の平安の美しさを、慈しみを、智慧を映さんとしたものを享受しようではないか。

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