
1950年には完全に以前の調子を取り戻して、スカラ座のピットにデビューした。イタリア随一のこの歌劇場とフルトヴェングラーの結び付きは1923年にさかのぼる。そのとき初めて2回の演奏会でスカラ座管弦楽団を指揮したのだったが、今回はまたもキルステン・フラグスタートをブリュンヒルデ役に起用して新演出による《指環》でオペラ初登場を果たした。フラグスタートはまた、戦後に彼のレパートリーに加えられたものの中で、おそらく最も重要な作品、シュトラウスの《4つの最後の歌》におけるパートナーでもあった。
~サム・H・白川著/藤岡啓介・加藤功泰・斎藤静代訳「フルトヴェングラー悪魔の楽匠・下」(アルファベータ)P172
スカラ座での「指環」最終章。
日を追う毎に凄味を増すフルトヴェングラーのワーグナーは、いよいよ「黄昏」でそのクライマックスを迎えた。それはミラノの聴衆との協働、すなわちそれは巨匠の言う「共同体」として見事に機能した結果だろう。

心許ない音質には違いないが、そのうち気にならなくところが、フルトヴェングラーのライヴ録音の常(例外もあるが)。ブリュンヒルデ役のフラグスタートの歌唱が絶品だ。
ミラノでは《指環》の公演は1920年代以降おこなわれたことがなかったので、フルトヴェングラーにとっても新たな挑戦課題となった。演奏家たちはその大半がこれまで一度もこの作品を演奏したことがなかったため、フルトヴェングラーは作品全体としてのまとまった解釈を作り上げると同時に、音楽を教える立場に置かれた。
~同上書P173
聴衆との共同体というより、オーケストラを含めた三位一体の「指環」だったということだ(その公演が悪かろうはずがない)。
リハーサルの最中、ある若い音楽学生が見学を許された。それから40年後、当時を回想して、この人物は「はっきり憶えています」と語った。
フルトヴェングラーがピットに歩いて行くときでさ、周囲にぴんと張りつめた緊張感が走りました。電気のような感じです。リハーサルでは、あるパートを何回も何回も繰り返し、おさらいするのでした。自分の望んでいることを我慢強く説明します・・・忍耐強く、非常に根気よく。すると、ゆっくりとあの素晴らしい暖かい音がオーケストラから出て来ます。そしてあの緊張感。初めから終わりまでずっとあの素晴らしい「緊張感」が満ちていました。フェルマータにあってさえ、そこには沈黙しかないはずなのに、緊張感を作り出すことができる—そういう音楽家は多くはないのですが、彼はそれが出来た人です。あの連続性、あの「流れ」・・・あれは決して忘れないでしょう。あのときのリハーサルと公演は、私にとってきわめて特別なものでありました。
この音楽学生とはクラウディオ・アバドである。彼は将来、自分がベルリン・フィルハーモニーの音楽監督に任命されるなどとは、当時は考えることもなかった。
~同上書P173-174
アバドの回想がまたスカラ座の「指環」の特別性を物語る。
生きた、熱を帯びた、血の通った「ニーベルングの指環」がここにある。
結論たる「神々の黄昏」。
やはり第3幕が素晴らしい。
固唾を飲んで傾聴する聴衆の緊張感すら伝わるような、冷たい熱狂が走る「ジークフリートの葬送行進曲」での静かな魔性がひときわ美しい。
そして、フルトヴェングラーの編み出す「冷たい熱狂」はラストの「ブリュンヒルデの自己犠牲」にも引き継がれ、フラグスタートの圧倒的な歌唱と共にミラノの聴衆を打ちのめした。
ところで、最後のハーゲンによる「指環を放せ!」(あるいは「指環から離れろ!」という台詞がカットされているようだが(確かクナッパーツブッシュの1951年バイロイト音楽祭ライヴでもそうだった気がするが)、どういうことだろう?

ハーゲン
指環を放せ!
(フロスヒルデは先頭に立って後方に泳いでいき、歓声をあげながら、獲得した指環を掲げる)
(水平にたなびく雲の層を破って、赤い灼熱の光が明るさを増す)
(この明るさに照らされて、3人のラインの娘たちが、次第に川床に引いていくライン川の静かな波に乗って、楽しそうに輪になって遊びながら輪舞を踊って泳いでいるのが見える)
(人々は男も女も崩壊した広間の焼け跡に立ち、この上なく感動して、空に広がる炎の明かりが増していくのを見上げている。空がついに一番明るく輝いた時、その中にヴァルハラの神殿が見える。そこには神々や英雄たちが、第1幕のヴァルトラ ウテの話のとおり、集まって坐っている)
(明るい炎が、神々の殿堂の中で燃え上がっているように見える)
(神々が炎に完全に取り巻かれ見えなくなったところで、幕が下りる)
~井形ちづる訳「ヴァーグナー オペラ・楽劇全作品対訳集2―《妖精》から《パルジファル》まで―」(水曜社)P225
感動的な管弦楽後奏に続く聴衆の拍手喝采は、スカラ座で久しぶりに「指環」が完成相成った歓喜を如実に示す。


