
少年の頃、夏目漱石や武者小路実篤の文学にしばしば触れていたが、当時は文豪たちの思想の真髄など理解できるはずもなかった。
かれはやがてトルストイの影響を受け、自分の生活を否定しはじめた。郊外にひとりで住みたいと思う、しかしそれは許されることではなかった。それならば「せめて生活を単純化して行きたい」と考えた。また肉食することにだんだん気がひけてきて、朝だけ菜食するようになった。冬になるとわざと火を遠ざけ、友だちなどが来ると火をもてきてもらい、帰るとすぐにまた火を遠ざけたりもした。衣服も着物を持たぬ人のことを思い、できるだけ質素にし、身体を鍛えたく思い羽織を着るのをきらった。母はそれを心配していたが、けっしてきこうとはしなかた。また冬の夜遅く帰ってくると(たいがい志賀の家から)よく母は門に立っていて帰りの遅いのを非難した。そんなとき「彼は母の愛を感じるよりも、母のしつこいのに不快を感じ、自分の子どもばかりを愛して他人の不幸に平気な母のエゴイズムに腹を立てたりした。」夜中に志賀のところへ行こうとすると母は風が吹くからと言って留める。そんなとき、かれは腹を立てて母に言う。
「もっとさむい夜に夜店を出したり、旗をふったりする人のことを思ってごらんなさい。」
母は、もう何も言わなくなった。何を言っても聞き入れる人間ではないことを知っていたからである。そしてあるとき母は、
「お前は、自分の強情をはり通すためには、私が死ぬといっても、平気で見ているだろう」
と言った。それを聞いたときかれは、「本当にそうだ」と思った。「自分が正しいと思うことをするとき、母がもし反対し、自殺するといっておどかしたら、どうぞ、見てますからと云いかねない自分だと思った。」
~福田清人編/松本武夫著「武者小路実篤 人と作品」(清水書院)P47-48
武者小路の青年時代の実に興味深いエピソードだ。彼は次のような言葉を残している。
トルストイの影響を受けてから、人間は幼児期に生きなければならないと思った。そして自分を正直に生かすには文学の仕事が一番いいと考えるようになった。
~同上書P55
トルストイの場合と同じく、出自が華族(貴族)の武者小路にはなんやかんや言っても余裕はあったのだろうと想像する。それは、ほとんど高等遊民といっても良い部類の人たちであり、一般の凡人とは隔たりのある思考がそこには横たわっていた。
しかしながら、それゆえにこそ当時としては常識破りの行動や生活スタイルが踏襲できたのである。
社会の堕落を痛切に批判したトルストイの傑作「クロイツェル・ソナタ」。
その主題は現代社会にも通じ、否、当時以上に今はさらにもっと堕ちてしまっているのではなかろうか。それにしても通奏低音のように流れるのが、ベートーヴェンの傑作ソナタである点がまた興味深い(トルストイの選曲の妙と言えるかどうか)。
最後の場面の、人間の苦悩、思考や感情から表出する苦しみ、仮我というエゴから発せられる、誰もが逃れられない「生きることの苦しみ」の描写が鮮烈だ。
妻は、明らかにそれ以上話す気力もないらしく、目を閉じて、黙っていました。やがて、醜く傷ついたその顔がふるえだし、皴を刻みました。妻は弱々しくわたしを押しのけました。
『なぜ、こんなことをしたの? なぜ?』
『赦してくれ』わたしは言いました。
『赦せ、ですって? くだらないわ、そんなこと!・・・ただ、死にたくない!』妻は叫んで、半身を起すと、熱病のような光に燃える目をわたしに注ぎました。『そうよ、さぞ本望でしょうよ! あなたが憎い! ああ! ああ!』明らかにうわごとらしく、何かにおびえながら、妻は叫びはじめたのです。『さあ、殺して、殺してちょうだい、こわいもんですか・・・ただ、みんな殺すのよ、一人残らず。あの人も。逃げるなんて、逃げるなんて!』
うわごとはずっとつづきました。妻はだれも見分けられなくなりました。その日の昼近くに、死にましたよ。わたしはその前に、8時ごろ、警察に連行され、そこからさらに刑務所へ移されたのです。
~トルストイ/原卓也訳「クロイツェル・ソナタ 悪魔」(新潮文庫)P170-171
愛憎、美醜、楽観と悲観、相反する世界にあって、いかに解脱を目指すかどうか。
同じくベートーヴェンも音楽を創造することを通して解脱を目指した人だ(それは「第九」や「ミサ・ソレムニス」作曲の背景を知り、作品そのものを具に聴けばわかる)。

本来黒人ヴァイオリニストジョージ・ブリッジタワーのために書かれたソナタ。
・ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル・ソナタ」(1803)
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)(1994.3録音)
数ある「クロイツェル」の名盤の中でも個人的には随一を誇ると思う1枚。
アルゲリッチの録音としてはセッション録音ゆえの余裕と安定感が前面に出ていて、ある意味大人しい印象があるにはある。しかし、幾度も聴きたくなる演奏であり、音楽のうちに描写されるドラマが明確、明晰な輪郭を保っており、第1楽章から終楽章まで一気呵成に聴かせる魅力に溢れる。すでに30余年を経過するが永遠の逸品。
武者小路からトルストイ、そしてベートーヴェン。


