
嘘か真か、ピンク・フロイドの「エコーズ」は、スタンリー・キューブリック監督作「2001年宇宙の旅」の第3部「木星、そして無限の彼方」のシークェンスに完全一致させ、長さも正確に同じにし、映画で起こる出来事を辿るようにアレンジしたものだという話がある。


そういう先入観もあるのか、ピンク・フロイドというと宇宙というイメージが付いてしまっているような印象さえある。
有楽町マリオンのプラネタリアTOKYOで”The Dark Side of the Moon”を聴いた。
(体験したという方が正しいかもしれない)
この、半世紀以上前にリリースされた作品の普遍性をあらためて思った。
事あるごとに様々なフォーマットで繰り返しリリースされてきた作品だけに世界的に最も有名なロック音楽のひとつだろうが、果たして今回の試みはどうか。



プラネタリウムに投影された映像は、宇宙飛行士の視点から見た大宇宙だった。
あるいは、そこには小宇宙の、つまり生命の神秘も描かれていた。
創世記に近い印象を受けた僕には、宇宙エネルギーの根源、すなわち創造主の存在こそがこのアルバムのコンセプトであり、意義なのだと思えた。
冒頭の鼓動に心が躍った。
40分ほどの再生の中で、確かに大音響は刺激的だったが、時間の経過とともにそこに恣意性、あるいは人工性を感じたのは僕だけだっただろうか。
おそらく先のキューブリックの影響にあるだろう今回のイヴェント(?)にはどこか無理があるように思えたのである。再生についても何も大音量でなくとも良いようにすら僕には思えた。それは、どれだけリマスタリングしようと、半世紀前のスタジオの空気までもが録音されてしまっていることが逆にわかってしまうことに興覚めを覚えたということだ。要は、アルバムの、音楽そのものの普遍性は間違いなくあるのだが、録音という物理的な意味での永遠性にはやはり限界を感じたのである。
僕は「また聴きたいと思うか?」と自問した。
残念ながら、答は「否」である。一人静かに、適度なボリュームで集中的に傾聴した方がより心に沁み入るかもしれない、そう思ったのだ。
(平日の午後ということもあり、観客は極めて少なかったので一人静かにというところは満たされていたのだけれど)
だからなのか、アルバム最後の鼓動には、正直少々疲れを感じた。
・PINK FLOYD THE DARK SIDE OF THE MOON 50 YEARS IN A HEARTBEAT (2023)
会場:コニカミノルタプラネタリアTOKYO(DOME1)
ただしこれは、あくまで個人的な所感である。
音楽には、アルバムには人それぞれにそれぞれの想い出があろう。
だからこそその想い出を大事にすることと、一方で新たに、自らの耳で、身体でどう感じるか、体験してみることが大切だと思うのだ。ちなみに、僕にとっての”The Dark Side of the Moon”は、42年前に初めて聴いたときのあの衝撃がすべて。
とはいえ、同じ会場で上映されるQUEEN HEAVENにはやっぱり興味がある。
だから、一度は行ってみよう(笑)。(今度は妻を連れて)
聖俗混淆のアルバムは、先天も後天も本来一つであることを物語る。
なるほど「煩悩即菩提」の代名詞たるピンク・フロイドの傑作だと思う。