アダージョ・エスプレッシーヴォの愛らしさよ

予習ということでもないのだが、週末のマキシム・ヴェンゲーロフのリサイタルに向けて少し勉強中。夏に戻ったような蒸し暑い天候の中で体調を崩している人も多いと聞くが、そういう時にこそ音楽がクスリの役目を果たしてくれる。
「良薬口に苦し」というが、体内に異物を取り込む必要もなし。音の波動によって心身が見事に癒される。これこそは西洋古典音楽の効用というか何というか・・・。
もっとたくさんの人々に聴いていただきたいと願う。
ただ何となく聴くのだって良い。意識して聴くのであるならば。

ベートーヴェンは都合10曲のヴァイオリン・ソナタを残しているが、うち9曲は「傑作の森」といわれる時期より以前のもの。つまり、「ハイリゲンシュタットの遺書」を認める前に生み出されたものがほとんどだということである。これはどういう意味なのか?
まったく個人的な趣味だが、僕自身ベートーヴェンの作品に絶大な信頼を寄せるものの、ヴァイオリン・ソナタに関してはほとんどシンパシーを覚えてこなかった。もちろん聴いている最中は感動して耳にしているのだが、繰り返し何度も聴こうと思ったり、音盤を何種類も集めようと思ったことがない。
何だか、イ長調の通称「クロイツェル・ソナタ」を1802年に書き上げ、そして遺書を書くことで乗り越えた結果、このジャンルについては作曲者自身もう見切ったような、そんな印象。その証拠に「クロイツェル」の充実度は並大抵でないし、その音楽自体聴く側にも相当の集中力を要する。

ベートーヴェン:
・ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」
・ヴァイオリン・ソナタ第10番ト長調作品96
ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)(1994.3録音)

久しぶりにこのコンビの録音を聴いた。アルゲリッチには別府でのギトリスとの飛び抜けた名演奏があるが、その鬼気迫る様子をほんの少し大人しくするものの、研ぎ澄まされた音の感覚はやはり健在で、「クロイツェル・ソナタ」の真髄を十分に堪能できる。クレーメルのヴァイオリンの為すところだろう。
ところで、出色は実にト長調作品96。「クロイツェル」から10年を経て生み出されたこの作品は、パトロンのルドルフ大公のために書かれたものだが、さすがに後期様式の入口に立っていた時期だけあり、一切の深刻さがなく、可憐で軽快な音調の内に何ともいえぬ高貴さを漂わす。アダージョ・エスプレッシーヴォの愛らしさよ・・・。
嗚呼、クレーメルとアルゲリッチの協演というのはもはや望めないのだろうか。
実に素敵な組み合わせだったのだけれど。


1 COMMENT

アレグロ・コン・ブリオ~第5章 » Blog Archive » ウェリントンの勝利またはヴィットリアの戦い

[…] ベートーヴェンはどうしてこんな作品を残したんだろうと、昔から疑問符のつく作品がいくつかある。例えば三重協奏曲。この作品、「オリーヴ山上のキリスト」や「ワルトシュタイン」ソナタ、「クロイツェル」ソナタなどとほぼ同時期に生み出されているもので、それらに比べてどうもいまひとつ精彩に欠ける。パトロンであるルドルフ大公が演奏するのを想定して書かれたピアノ・パートはテクニック面で比較的易しく書かれているそうだが、それより楽想全般に霊感が乏しいことが気になる。あえて出版する必要もなかったのではと僕などは考えてしまうが、単純に年金をいただく貴族からの要請があったから仕方なくということなのだろうか(何か他の理由がありそうだけれど、どの文献をあたってもそのあたりの詳細は見当たらない)。 それと、「戦争交響曲」と呼ばれる管弦楽作品。1813年6月、ナポレオン軍がイギリス軍に大敗を喫したのを記念し、ヨハン・ネポムク・メルツェルからの依頼により創作した音楽だけれど、こちらも何度も繰り返し聴こうとは思えないもの。しかしながら、交響曲第7番と同時に初演された当時は熱狂的に迎えられたらしく、年を越して何度も再演され、一向に人気は衰えなかったそうだからわからないものだ。 […]

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