Emerson, Lake & Palmer “Trilogy” (1972)

自然を愛したベラ・バルトークの人となり。

外界の介在をきっぱりと拒否する人。街ですれちがってさえ、バルトークの姿はそう感じさせるという。彼が心をひらくのは、文明という名を被った虚飾をすべてとり払った東欧の田園にあるときであり、そこでは一木一草さえ親しい友人であった。ふるいものが土に帰して来るべきもののための滋養となって生命の周期が完うされる、という自然の一環としての人びとの生活が彼を安堵させる。ベッドとテーブルだけの簡素な田舎家にバルトークはくつろぎ、そこの人びとともまた打ちとけて自分たちの歌をバルトークのために唱った。そこに生きる人びとの日々のリズムそのものである彼らの音楽を、バルトークは自らの音楽の指標とした。深く根を下ろしたその土を離れては、自分の存在はあり得ないことを知っていた。
アガサ・ファセット/野水瑞穂訳「バルトーク晩年の悲劇」(みすず書房)P375

「バルトーク晩年の悲劇」訳者あとがきにはそうある。
一面ではとっつきにくかったであろう天才こその孤高の境地、他を圧倒する世界がそこにはあった。しかし、よく考えると、バルトークの姿勢は人として当たり前のことだった。妻ディッタの回想が興味深い。

しかしディッタは著者に語る。「あの人は少しもペシミストなんかじゃない。不思議なほど適確な感覚で、現在を未来の位置から見ることができるのね。だから現在ほんとうに誤っていることが、今日から明日に移行する間に、突然意外な好転を見せて正しくなるなどと信ずるような誤謬はおかさないの。」そして彼は、時間の経過とともに生ずる必然的全体的な変化によって、個々の問題がゆっくりと解決していくのを待った。
~同上書P376

そこには、昨日、實川風が弾いたバッハに感じたのと同じ世界があった。数学的ともいえるバッハとバルトークの共通点は、現在を未来の位置から見ることができることだったのか。

エマーソン・レイク&パーマーはここから始まった。
しかし、この稀代のバンドの意外に早い段階での崩壊の原因は、未来音楽たるバッハやバルトークの音楽をあくまで現在の視点からでしか料理し得なかった点だ。それゆえに革新的だった方法もあっという間に廃れた。

久しぶりに聴いた天才的トリオのアルバムも果たして古びた印象を受ける。
しかしながら一方で喚起されるのは、初めて聴いたそのときの「真新しさ」だ。特に、バッハやバルトークの音楽を愛していた人間にとって、電気的に処理された、そして見事にアレンジされた天才の音楽の新たなバージョンは、欣喜雀躍させるに価する力が漲っていた。その印象は今も変わらない。

・Emerson, Lake & Palmer:Trilogy (1972)

Personnel
Keith Emerson (Hammond C3 organ, Steinway piano, zurna (listed as a “Zoukra”), Moog synthesiser III-C, Mini-Moog model D synthesizer)
Greg Lake (vocals, bass guitar, electric and acoustic guitars)
Carl Palmer (drums, percussion)

40年前、僕が最初に聴いたアルバムは”Trilogy”だった。
リリースから10年が経過していたが、僕の耳にはとても斬新に聴こえた。まして「フーガ」を挟む「永遠の謎」にのっけから痺れた(迷いから目覚めよとレイクは言う)。ボレロのリズムを配した掉尾を飾る「奈落のボレロ」にももちろん感動した。

Are you confused
To the point in your mind
Though you’re blind,
Can’t you see you’re wrong
Won’t you refuse to be used
Even though you may know
I can see you’re wrong
Please, please,
Please open their eyes
Please, please,
Please don’t give me lies

エマーソン・レイク&パーマーの真実は、一聴高尚な、哲学的な(暴力的な)キース・エマーソンの音楽に(抒情的な)グレッグ・レイクの歌詞の掛け算という、優れた、圧倒的な、軽快ながら重厚なコラボレーションの成せる業なのだと思う。それにしてもアーロン・コープランドの「ホウダウン」に、「オクラホマミキサー」から「わらの中の七面鳥」の有名な旋律が顔を出す瞬間の愉悦(思わず顔がほころびる)。

バッハやバルトークを、あるいはヤナーチェクの音楽を愛したキース・エマーソンが鬼籍に入り、そして、時を同じくして(間もなく)グレッグ・レイクまでもが逝き、二人ともにいまや輪廻の中にあるエマーソン・レイク&パーマーは永遠に葬られたかのように見える。しかし、彼等の作品は文字通り普遍だ。

人気ブログランキング


コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

アレグロ・コン・ブリオをもっと見る

今すぐ購読し、続きを読んで、すべてのアーカイブにアクセスしましょう。

続きを読む