カルミナ四重奏団 シューベルト 弦楽四重奏曲第14番ニ短調D810「死と乙女」&第13番イ短調D804「ロザムンデ」(2000.10録音)

真実の愛には束縛も鍵も柵もない。あらゆる障害を乗り越えて進んでいくのだ。翼を広げて星々に向かって飛び立つ、いかなる地上の力もそれを止めたり留まらせたりすることはできない。
(マティアス・クラウディウス 1740-1815)

真実の愛とは慈悲だ。慈悲の心は時空を超えるのだと思う。
18世紀ドイツの詩人が書いた有名な詩「死と乙女」。

Das Mädchen:
Vorüber! Ach, vorüber!
Geh, wilder Knochenmann!
Ich bin noch jung, geh, Lieber!
Und rühre mich nicht an.
Der Tod:
Gib deine Hand, du schön und zart Gebild,
Bin Freund und komme nicht zu strafen.
Sei guten Muts! Ich bin nicht wild,
Sollst sanft in meinen Armen schlafen.

死は愛(慈しみ)と同義だともいわれる。
生という立ち位置から見たとき、それが得体のしれないものだとし、人は不安を抱く。しかし、死神の視点に立てば、それが安息であり、愛だとわかれば死は決して恐れるべきものでもない。

若きフランツ・シューベルトは本性では解っていたのだろうと思う。
しかし、19世紀前半にあって、世界は生、すなわち愛の意味を失ったがゆえの暗黒にまみれており、芸術を志す者は誰もが苦悩した。シューベルトの発露する音楽が「懐かしさ」を湛えているのはそのためだった(「死と乙女」第2楽章!)。

しかしシューベルトになると、もはや観念を生みだした現実の根は、ほとんど郷愁としてしか存在しない。それは18世紀人には自明のものだった生の意味を、自分の手で、作り出し、探し求めてゆくという作業なのだ。ロマン派の人々の内面の苦悶は、基本的にはこの生の意味の喪失感から生れる。
「生活気分としての“ロマン派”」
「辻邦生全集19」(新潮社)P81-82

人が懐古するのは、喪失感からだろうと確かに思う。
古の音楽に浸りながらかつて存在し、しかし今は失ってしまった「美」を思う。
どんなに暗澹たる主題であろうとシューベルトの裡にあるのは安息だ。「死と乙女」を繰り返し聴いて思う。やっぱり彼は解っていたのだと(作曲当時の友人に宛てた手紙の内容とは相反するが)。

僕はこの世でもっとも不幸で、哀れな人間だと感じている。考えてみてほしい、健康が回復する見込みがもはやなく、その絶望から物事をよいほうにではなくどんどんと悪い方向へもっていくような、そんな人間のことを。考えてほしい、輝いていた希望が無に帰し愛と友情の幸福がこの上ない苦痛しかもたらさず、美に対する熱狂も消えゆこうとしているような人間のことを。・・・歌曲は新しいものをほとんど作らなかったが、器楽曲はいくつか試みた。弦楽四重奏曲を2曲と八重奏曲を1曲作曲したが、もう1曲弦楽四重奏曲を書くつもりだ。このようにして大きな交響曲への道を開いていこうと思っている。
(1824年3月31日付、画家レオポルト・クーペルヴィーザー宛)
「作曲家別名曲解説ライブラリー17 シューベルト」(音楽之友社)P94

シューベルト:
・弦楽四重奏曲第14番ニ短調D810「死と乙女」(1824)
・弦楽四重奏曲第13番イ短調D804(作品29-1)「ロザムンデ」(1824)
カルミナ四重奏団(2000.10.25-28録音)
マティーアス・エンデルレ(ヴァイオリン)
スザンヌ・フランク(ヴァイオリン)
ウェンディ・チャンプニー(ヴィオラ)
シュテファン・ゲルナー(チェロ)

「ロザムンデ」も「死と乙女」も実際には同時期に作曲された作品だ(「死と乙女」は一旦中断され、しばらく放置されていたものが発見され、完成されたもの)。2曲に共通するのは第2楽章に自作からの引用(主題の転用)があることだろう。

D804第2楽章アンダンテ(ハ長調)の主題は、劇付随音楽「キプロスの女王ロザムンデ」D797第3幕間奏曲(変ロ長調)からの流用である。メロディストたるシューベルト随一の美しさを持つこの主題は、他にも即興曲(変ロ長調)作品142-3(D935)遺作に転用されており、シューベルト自身のお気に入りだったようだ。

カルミナ四重奏団の演奏は若き血潮に溢れる、前のめりのものだ。楽曲への熱い思いがひたひたと伝わる解釈には、シューベルトの意識を超え、希望に満ちる。何という直接的な慈悲であることか。

この作品(弦楽五重奏曲ハ長調)と同じ情感を持っている弦楽四重奏「死と乙女」は結婚して間もなくの頃、実によく聴いた。それはフランスへ留学する前のことだが、そのあとなかなか聴く機会がない。当時、私は「死と乙女」のとくに第2楽章を聴いていると、その濃い官能的な甘やかな蠱惑感に惹きこまれ、いつ死んでもいいと思ったものだ。音楽の惑溺のなかにはたしかんい死の匂いがあることをその頃知ったが、同時に〈美なるもの〉がある以上、死を怖れる必要はまったくないという感じもした。
「ロッテ・レーマンに魅了されて」
「辻邦生全集19」(新潮社)P17

鬼籍に入った辻さんは今何を思うのか。

カペー弦楽四重奏団 シューベルト 弦楽四重奏曲第14番D810「死と乙女」(1928.6録音)ほか ブッシュ弦楽四重奏団 シューベルト 弦楽四重奏曲第15番(1938.11録音)ほか リヒテル ボロディン弦楽四重奏団 シューマン ピアノ五重奏曲(1994.6Live)ほか ハンガリー弦楽四重奏団 シューベルト 弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」(1952録音) アルバン・ベルク四重奏団 シューベルト 弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」(1994.4Live)ほか アルバン・ベルク四重奏団のシューベルト「死と乙女」(1984.6録音)ほかを聴いて思ふ アルバン・ベルク四重奏団のシューベルト「死と乙女」(1984.6録音)ほかを聴いて思ふ ハーゲン・クァルテット シューベルト&ショスタコーヴィチ ツィクルスⅡ ハーゲン・クァルテット シューベルト&ショスタコーヴィチ ツィクルスⅡ カルミナ四重奏団の「ロザムンデ」四重奏曲を聴いて思ふ カルミナ四重奏団の「ロザムンデ」四重奏曲を聴いて思ふ ABQのシューベルト「死と乙女」を聴いて思ふ ABQのシューベルト「死と乙女」を聴いて思ふ

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