
ムソルグスキーやボロディンが生前に完成できなかった作品を補筆完成したことこそニコライ・リムスキー=コルサコフの最大の音楽史的貢献だろう。一ディレッタントから職業音楽家へと変化していく中で、彼が天性の感性で知られざる作品を世に広めた功績は大いに評価される。
サルタン・シャーリアールは、女性たちが不信で不貞であると考えて、いかなる女性たちも初夜を過ごした後に殺してしまおうと誓った。しかし王妃シェエラザードは、王に興味ある物語を話し、千一夜の間生命をながらえた。その話のおもしろさにひきずられて、彼女を殺すのを一日々々と延ばし、ついにサルタンは、残酷な誓いを完全に捨ててしまった。王妃シェラザードがシャーリアールに語った物語は、不思議なものであった。その物語のために、王妃は、詩人たちから詩を、民謡から歌詞を借り、そういうものを織り交ぜて語った。
~「作曲家別名曲解説ライブラリー㉒ ロシア国民楽派」(音楽之友社)P59
これは、出版された楽譜に「千一夜物語」によるとして記された言葉である。
慈しみの対義語は「殺」だが、王の心を真逆に感化させたシェヘラザードの「慈」の勝利。内容は異なるが、観音菩薩の慈悲深いエピソードを思わせる。
第1楽章 海とシンドバッドの船(10:25)
第2楽章 カランダール王子の物語(11:54)
第3楽章 若き王子と王女(10:54)
第4楽章 バグダッドの祭、海、青銅の騎士のある岩にての難破、終曲(12:18)
旋律の宝庫。
誰もがどこかで聴いたことのあるであろう旋律がここかしこに散りばめられる。
しかもリムスキー=コルサコフの色彩豊かな音響によって、色香漂う、豊潤な音楽が僕たちの眼前に現われるのである。そこでは指揮者やオーケストラの力量がものをいう。
コンスタンティン・シルヴェストリが晩年に録音した演奏には、シャーリアールの狂気たる激性とシェヘラザードの慈愛たる安息の響きが同居する。
中学生のときに初めて聴いたのがまさにこの「禿山の一夜」だった。
ムソルグスキーの原典とは似ても似つかぬ音楽に、その後初めて原典版を聴いたとき、僕はひっくりかえった。
(「原典版」にこそムソルグスキーの真髄がある)


そして、魅惑の交響組曲「シェヘラザード」は、いかにもロシア的な情緒あふれる土臭い、怒涛の演奏だ。しばしば情景的なアドバイスでリハーサルを進めたシルヴェストリの、文字通り「絵画的な」表現に感動する(ジェラルド・ジャーヴィスの独奏ヴァイオリンの艶やかさ!)。
個人的には、推進力に溢れ、重要な主題が回想される第4楽章「バグダッドの祭、海、青銅の騎士のある岩にての難破、終曲」の類稀なる集中力(熱気と緊張感!)に一層心を動かされる。中で、終曲の「シェヘラザード王妃の主題」の回想(ヴァイオリン独奏)に静かな官能の美しさ。




