
イングマール・ベルイマンの「自伝」の最終章は、「母の肖像」と題される。
おおよそ誰にとってもそうだと思うが、「母」は人格形成において重要な役割を果たす。ベルイマンにとってもそうだった。
12月のある日曜日、私はヘドヴィーグ・エレオノーラ教会でバッハの『クリスマス・オラトリオ』に耳を傾けていた。午後のことだった。一日中、風もなく、静かに雪が降っていたが、とのとき、陽光が射し込んだ。
私は高い丸天井を頭上に仰いで、回廊の左側に坐っていた。金色に輝く日の光が教会のむかいにある牧師館の窓にまぶしく反射し、丸天井を支える柱に影を印していた。丸天井の頂からは鋭いナイフのような日の光がななめに射し込んでいた。大祭壇の片側のステンドグラスの窓は数瞬間、燃えるように輝くと、すぐ光を失った。深紅と青と黄金色の静かな爆発。薄暗い空間に心やすらぐような合唱の響きが流れる。信仰のない者の苦しみをやわらげるバッハの敬虔な音楽。ゆらゆらと壁に映る光の模様は上のほうへ移動し、小さくなり、力つきて消える。ニ長調のトランペットが救世主をたたえて高らかに鳴り響く。突然の静寂、時間を失った静寂とともに、おだやかな、灰色がかった青い闇が教会の中廊下を満たす。
寒くなってきた。街灯にはまだ明りがともされていない。足元で雪がきしむ。吐く息は小さな雲となる。待降節だというのにこの寒さでは、きっとことしはきびしい冬になることだろう。バッハの音楽が、揺れ動く色あざやかなヴェールのように心の部屋に漂い、歓喜という開いた扉から敷居をこえて出たり入ったりしている。
~イングマール・ベルイマン/木原武一訳「ベルイマン自伝」(新潮社)P309
ベルイマンの情景描写は、その映画と同じく、静謐で完璧だ。
その昔、聖と凡とは明確に分けられて語られていた。
しかし、21世紀の、弥勒の時代の今は違う。聖の中に凡があり、凡の中にまた聖があるといわれる。つまり、汚れた泥沼のような社会の中で、いかに聖を体現できるか、要は、すべては僕たちの心のあり方次第だというのである。
彼女(母)は急に振り向き、私に気づく。(私はこの瞬間をじっと待っていたのだった。母が死んでからは、この瞬間をよく思い出す)。彼女は形ばかりに笑顔をつくり、すぐに日記帳を閉じ、眼鏡をはずす。私は立派な息子のようにその額と左目の横の褐色のしみに接吻する。
「お母さん、休んでいるところを邪魔してごめんなさい。食事の前、お父さんは少し休息し、お母さんは本を読むか、日記をつけることになっているのは知っている。ぼくはいま教会でバッハの『クリスマス・オラトリオ』を聴いてきたところです。すばらしかった。光がすばらしかった。そのあいだずっと考えていたんです。ぼくももう一度やってみようと。今度はうまくいくにきまってる。」
母は笑うが、皮肉のこもった笑いだ。彼女が何を考えているのか、私にはわかっている!
~同上書P310
なんと平和な光景だろう。
母と子との言葉で言い表せない「つながり」は、人を、心を温かくさせる。
ベルイマンは母との思い出を振り返る。
愛と苦悩と、様々な感情が錯綜する中で、結局残るのは感謝のようだ。
いま私は、待降節の最初の日曜日の午後、ヘドヴィーグ・エレオノーラ教会にいる。丸天井に反射する光を眺め、牧師館の4階にある部屋に忍び込み、日記帳にかがみこむ母の姿を見つけ、彼女は話があるなら聞いてもいいと言った。私の話はたちまち混乱して、胸にしまっておいたつもりの秘密について質問をはじめた。釈明と非難。母は自分は疲れていると繰返す。最後の数年間はよくそうしたものだった。彼女の姿はしだいに薄れて、ほとんど見えなくなる。私は、自分が失ったもの、あるいは持っていなかったものではなく、いま自分が持っているもののことを考えるべきなのだ。私は自分の持てる宝物をかき集める。みごとに輝くものもいくつかある。
~同上書P317-318
それは、1981年11月29日日曜日のことだと思われる。
ベルイマンの家族の因縁も実に複雑だった。
しかし、因果の清算が始まる中で、彼は「いまだ謎」としながら、その一つの解答をほぼ見つけたのである。
私が確信をもって言えるのは、私たちの家族は、度をこえた要求と良心の呵責と罪という、おそるべき遺産を背負わされた、善意の人間からなっていたということである。
~同上書P318
しかし、この言葉の裏には残念ながら「赦し」がない。
あくまでも自分たち以外を受容するという真の「慈しみ」がない。
(果たしてベルイマンは今頃転生しているのかどうなのか、自己との闘いはまだまだ続くのだろう)
バッハの音楽には、自省を促す力があるようだ。
豪華な独唱陣を伴う、完全無欠のバッハ。
ベルイマンは、バッハの合唱曲を「純粋かつ完璧」だとするが、リヒターのバッハには峻厳で、簡単には近づけない崇高さが醸される。1960年代は、やはり聖と俗を切り離して考える習慣がまだまだあった。決して日常使いなどできない「何か」があった。それが常識だったのだ。
しかし、あくまでもそれは聴く側の事情でもある。
60余年の時間を経て、今聴くリヒターのバッハは、もっと身近だ。
リヒターもグールドもバッハを一層身近な存在にした。
それこそ「聖凡一体」の前哨の切り札だったのだと思う。

