セダレス指揮ニュージーランド響 トムソン 讃美歌の調べによる交響曲ほか(1998.11録音)

アメリカの作曲家というのは、どうも二番煎じ的な先入観があって、どうしても軽い印象を拭えない。ヨーロッパ的な雛形を借りつつ、どこか野暮ったい、浅薄な音楽だという僕の思い込みなのだと思うのだけれど。

ナディア・ブーランジェに師事したアメリカの音楽家は多い。
アーロン・コープランド、レナード・バーンスタイン、あるいはヴァージル・トムソン。

アメリカ音楽とは何か? 機知に富んだ作曲家であり、辛辣な批評家でもあったヴァージル・トムソンは、狡猾な答えを思いついた。「アメリカ音楽を書くのはとても簡単だ。アメリカ人であること、そして自分の思い描く音楽を書き記すだけでいい」。つまり、ある問いを真剣に受け止めると同時に、それを不条理なものへと貶めるということである。長年ヨーロッパに住み、ガートルード・スタインの友人でもあったヴァージル・トムソンの懐疑的な考え方によれば、アメリカ音楽は、その特徴がもはや意味を持たないほど一般的に定式化された場合にのみ存在するらしい。しかし、ジョン・フィリップ・スーザのオペレッタ『アメリカの乙女』において、国歌「星条旗よ永遠なれ」のパラフレーズが流れ、コンサートホールでの演奏中に観客のアメリカ人が立ち上がり、敬意をもって愛国の意を表し立ったままメロディを傾聴したとしても、明晰な芸術家であり、人間の衝動の正確な観察者である彼は驚かなかっただろう。
ヴォルフガング・サンドナー/稲岡邦彌訳「キース・ジャレットの真実 ジャズピアノの歴史を変えた即興演奏とその人生」(DU BOOKS)P112

グスターボ・ドゥダメル指揮ウィーン・フィル スーザ「星条旗よ永遠なれ」

辛辣というのは、この場合、自虐的という意味も持つだろう。
トムソンの音楽を聴くにつけ、いかに彼がヨーロッパの影響を受け、そしてそれを恥かしげもなく自身の様式として昇華し、アメリカ音楽として機能させていたかが興味深い。

ヴァージル・トムソンの単純化された見解では物足りないなら、アメリカ音楽のもうひとりの擁護者に相談してみるといい—レナード・バーンスタインである。レナード・バーンスタインは、その刺激的な著書『音楽のよろこび』のなかで、架空の対話というソクラテスの手法を使って新世界の音楽についての見解を説明している。会話のなかでブロードウェイのプロデューサーは、バーンスタインにその形態が“真のアメリカの芸術”であるという理由でミュージカルの作曲を勧める。アメリカのコンサートホールで日々上演されている作品は基本的にすべてヨーロッパのもので、カウボーイのメロディ、ブルースのハーモニー、ジャズのリズムを少し加えることによって、アメリカ風になっているだけなのだ。バーンスタインを侮ってはいけない。ロシアの交響曲はすべてきわめてドイツ風だが、「ビールがウォッカに変わっただけ」なのだ。セザール・フランクの交響曲でさえドイツ風だ。何本かのホーンを加えて風味を変えているに過ぎない。リスト、エルガー、グリーグ、ドヴォルザークの交響曲にも同じことがいえる。どんな国家の風味が加えられようとも、ドイツ風味を消すことはできない。交響曲の事実上の発展は、モーツァルトからグスタフ・マーラーまで一直線に続いているのだから。
~同上書P112-113

なるほど、確かにアメリカ音楽とはミュージカルそのものなのだろうと思った。
バーンスタインはミュージカルを幾つも書いた。
多作家トムソンにはミュージカルはなかったのではなかったか?
彼が「自虐的だ」と僕が思うのは、そういうことも理由だ。

トムソンの交響曲は、どこからどう聴いても、やはりドイツ風の域を脱していないことは明らかだ。しかし、僕は何も「アメリカ」という言葉にこだわらない。国家の風味がどうあれ、音楽は人の心をつかむなら、美しいのなら、それで良い。

トムソン:
・交響曲第2番ハ長調(1931-41)
・交響曲第3番(1972)
・巡礼者と開拓者(1964)
・讃美歌の調べによる交響曲(1928)
ジェームズ・セダレス指揮ニュージーランド交響楽団(1998.11.23-25録音)

いずれも前世紀風浪漫薫る、今となってはもはやアメリカの古典。
繰り返し頻繁に聴くというほどでもないが、真夏の高原の、蒸し暑い夜に一人静かに聴くにふさわしい音楽だ(どうにも洗練されないところが面白いと言えば面白い)。

文字通り讃美歌などを引用する「讃美歌の調べによる交響曲」など、敬虔さは微塵も感じさせず、いかにも通俗的な曲として眼前に聳え立つ、否、さらっと流れるのである。
たぶんアメリカ人は好きだろう。
ミュージカルの様式を借りずにミュージカルのような明るさと手軽さを擁した(その意味では)名曲。

聴き手の受容あってこその音楽。
時代遅れと言われようが、センスがないと言われようが、そんなことは知ったことではない。
泉のように湧き出した楽想を、ジャンルを問わず数多の作品として世に送り出したヴァージル・トムソンの天才。

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