歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」の不運。作曲の頃は、経済的困窮のど真ん中だったらしい。 貴族が圧倒的に多数を占めるウィーンの洗練された聴衆は、1786年以来、《フィガロ》によって侮辱を受け、《ドン・ジョヴァンニ》というこっ ... ]]>

歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」の不運。
作曲の頃は、経済的困窮のど真ん中だったらしい。
貴族が圧倒的に多数を占めるウィーンの洗練された聴衆は、1786年以来、《フィガロ》によって侮辱を受け、《ドン・ジョヴァンニ》というこってりしすぎた料理を味わって以来、さらにモーツァルトの作曲仲間の強まる陰謀活動も原因となって、以前には長年にわたってほめそやしてきたこのピアノ協奏曲の作者を突然見捨ててしまった。そのため彼は1788年からその死まで、実生活では常に破滅の際に立っていた。かつての〈神童〉の慢性の金づまりと深まる社会的孤立はじわじわと影響を及ぼし、その結果モーツァルトの生命力はあんなにも早く涸れつきてしまったのであろう。
~アッティラ・チャンパイ&ディートマル・ホラント編「名作オペラブックス9 モーツァルト コジ・ファン・トゥッテ」(音楽之友社)P205
モーツァルトの、時代の何歩も先を行く創造力が、結果、彼を困窮状態に追いやったのだろうと思う。何ごとにおいてもほど良さ、ちょうど良い、慎ましい状態が本当は理想的なのである(しかし、天才の場合にはそうはもいかない)。
かのベートーヴェンは、次のように言ったそうだ。
《ドン・ジョヴァンニ》や《コシ・ファン・トゥッテ》のようなオペラは私には作曲できないでしょう。こうしたものには嫌悪感を感じるのです。—このような題材を私が選ぶことなどありえません。私には軽薄すぎます。
さすがに「楽聖」と呼ばれた人だけある。何より、ベートーヴェンは台本を重視し、台本の選択に時間と労力をかけた。それゆえかどうなのか、この歌劇は19世紀にはほとんど無視されるものに陥ってしまっていた。当時の欧州を代表する評論家だったハンスリックは次のように書いている。
私は《コシ・ファン・トゥッテ》は、コンサートホールでは実に魅惑的に作用するいくつかの魅力的な歌があるにもかかわらず、上演するにはもはや生命力がないと思う。その理由は一部は観客に、一部は作品そのものの中にある。われわれ自身の中というのは、音楽がモーツァルト以来くぐり抜けてきた急激な成長および燃焼過程で、われわれは新しい、より高められた欲求を身につけたからであり、ベートーヴェンやウェーバーおよびその後継者を通じ、オペラにおいてより激しく、鋭く、活気のある音楽になじんだからである。それは抵抗しえない自然過程であった。モーツァルト自身、《ドン・ジョヴァンニ》、《フィガロの結婚》そして《魔笛》では最高の劇的生命力を持った、比類なく心をそそる音楽をわれわれに与えていた。これらのオペラに今日でも飽くことなき陶酔をもって殺到するこの観客を、未成熟ということはできない。彼らといえども自分たちの寵児モーツァルトのもっと程度の低い作品には冷淡だからだ。〈われわれ〉のせい、というか、時代が《コシ・ファン・トゥッテ》の中の数多い、かつては効果のあった部分を、今日のわれわれにとっては古びてしまって形式的に聞えるようなものにしてしまったのである。しかし、また別の根本的な原因が作品自体にあり、作品が現れるやいなや実にはっきりと感じとられ、あきらかにされたのである。
(エドゥアルト・ハンスリック《コシ・ファン・トゥッテ》—もはや生命なく)
~同上書P252
少なくとも19世紀においてはまったく人気のなかった歌劇であり、その原因の一つが台本の拙さにあるとハンスリックも言うのである。
しかしながら、時代の移り変わりとともに、徐々に人々から受け入れられていく。
歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」にまつわるドキュメンテーション。
ちなみに、20世紀になって、リヒャルト・シュトラウスは書く。
《コシ・ファン・トゥッテ》はモーツァルトの劇における無類な傑作であるだけでなく、リヒャルト・ワーグナーの《マイスタージンガー》以前の喜劇文学全体の精華でもある。《コシ・ファン・トゥッテ》が今日にいたるまで《フィガロ》、《ドン・ジョヴァンニ》そして《魔笛》のように一般の正当な評価を得られなかった理由はなんであったのだろうか。おそらく、聴衆の純粋に音楽的な要求にしたがって歌手たちがオペラの音楽的様式の困難な表現にのみ注目していた時代にはこうしたモーツァルトの喜劇の独特なパロディ的様式は、音の詩人や台本の詩人が意図したような方法では演劇論的に通用しなかったのだろう。この様式をもっとも鋭く表現している曲目、第1幕のドラベルラの変ホ長調アリア、第2幕のフェルランドの変ロ長調アリアおよびグリエルモのト長調アリアは、大きな、それに結びついた、きわめて魅力的なレチタティーヴォとともに、常に削除されてきた。それらはあきらかに純粋に音楽としてはあまり価値のないものとみなされてきたのだが、その反面、性格描写の面ではそれだけにいっそう興味深く、重要なものである。
(リヒャルト・シュトラウス「モーツァルトの《コシ・ファン・トゥッテ》」)
~同上書P263
「静」のモーツァルトが聴こえるこの傑作を、僕は愛する。
(アンサンブル中心という特長があるが、動的な華美さを排した静かな、沈黙の(?)美しさが全編を支配する)
(何より裁判根のモーツァルトの創造した音楽の、無駄のない、純粋な響きが堪らない)
余計な細工をせず、自然体で、かつモーツァルト愛だけで、作品と向き合った演奏はどれもが素晴らしい出来を示す(かつて聴いたジョナサン・ノットによるコンサート形式での上演は見事だった)。
ノット指揮東響のモーツァルト 歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」K.588(演奏会形式) 歴史的名盤を聴く。
脱力のカール・ベーム。
余計な「我(が)」を横に置き、作品を自然体で表現しようとする様子に感無量。
歌手陣を引き立て、アンサンブルの素晴らしさを前面に押し出そうとする指揮に、この録音が実に普遍的で、永久保存版の価値をもつものであることを思う。
ベーム指揮フィルハーモニア管のモーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」K.588(1962.9録音)を聴いて思ふ
「私と同じように勤勉な人ならば、私と同じ程度のことはできるだろう」。バッハのすごさは、完璧な、論理的構成力と、人の感性に訴えかける心の両方を完全に備えていることだ。 バッハの勤勉さは人の何倍もの努力であったろうし、そもそ ... ]]>

「私と同じように勤勉な人ならば、私と同じ程度のことはできるだろう」。
バッハのすごさは、完璧な、論理的構成力と、人の感性に訴えかける心の両方を完全に備えていることだ。
バッハの勤勉さは人の何倍もの努力であったろうし、そもそも天性のセンスがあったがゆえに何世紀もの後の人々を感動させる作品を生み出すことができたのだと思う。
モーツァルトを感動させたバッハのフーガ。
あるいは、ベートーヴェンを震撼させたバッハのフーガ。
コンスタンツェ・モーツァルトが「いちばん技巧的で、いちばん美しい音楽」としたフーガを、バッハは完全なる筆致で人類に届けた。(バッハはフーガの天才であったが、それ以上にいわゆる舞曲に長けていた)
ピリスの弾くバッハは、バッハの堅牢な構成を突き抜け、いかにも即興風に、自由自在の風を吹かせているように感じられる。グレン・グールドとは違い、リヒテルとも異なる、何とも言葉にし難いアプローチでの録音は(キース・ジャレット以上にキース・ジャレットのようだ)、人類の至宝だと思う。
パルティータの前奏曲から音楽は胸に迫る。
何という優しさ、何という慈悲!
続く、性急なアルマンドは、どこまでも推進力高く、音色の絶妙な表情付けが聴く者を魅了する。
クーラントの翳。こういう人間的な情感は、バロック音楽の域を超え、また時代を超え、バッハの時代にはなかった浪漫を覚える。
サラバンドが真に美しい。ここには、人類のすべての業を背負い、自らを磔刑に処そうとするイエスの覚悟が感じられまいか。ピリスは深沈とした面持ちを呈しながら、内側は何と溌剌としているのだろう。
それに、何て優雅なメヌエット。
あるいは、終曲ジーグの弾ける歓び!
その翌々日、わたしは次に掲げるような奇怪な手紙を受け取った。そこには、冒頭の引用句としてシェークスピアの詩の幾行かが書かれていた。
That strain again, _it had a dying fall:
O, it came o’er my ear like the sweet south,
That breathes upon a bank of violets,
Stealing and giving odour. _Enough; no more,
‘Tis not so sweet now as it was before…
今の曲をもう一度! 滅入って行くような調べだった。おお、まるで菫の咲いている土手を、その花の香をとったりやったりして、吹き通っている懐かしい南風のように、わしの耳には聞えた。もうたくさん・・・。よしてくれ。もうさっきほどに懐かしくない。(坪内逍遥訳)
~ジッド/山内義雄訳「狭き門」(新潮文庫)P166
マリア・ジョアン・ピリスのJ.S.バッハを聴いて思ふ
イエス・キリストを救世主として賛美するヘンデルの傑作オラトリオ「メサイア」。 1742年4月13日に行われた《メサイア》の初演は、400ポンドの事前収益を上げ、劇場関係者142名を債務者用監獄送りから救った。1年後、ヘン ... ]]>

イエス・キリストを救世主として賛美するヘンデルの傑作オラトリオ「メサイア」。
1742年4月13日に行われた《メサイア》の初演は、400ポンドの事前収益を上げ、劇場関係者142名を債務者用監獄送りから救った。1年後、ヘンデルはこの作品をロンドンで上演した。国教会から提起された論争で悩まされ続けていたが、イギリス国王ジョージ2世が演奏会に来た。勝利にあふれた「ハレルヤ・コーラス」の第一音が鳴り出すや、国王は立ち上がった。国王への儀礼に従い聴衆もすべて立ち上がり、それ以来、この伝統は2世紀を超えて現在に受け継がれている。
この事件からほどなくしてヘンデルの運命は劇的に改善し、苦労の末に得た人気は在世中不動のものとなった。長い生涯を閉じる頃、《メサイア》はすっかりおなじみの上演曲目になっていた。他の作曲家に与えた影響力たるや恐るべきものである。後日ハイドンが「ハレルヤ・コーラス」を聴いた時、子供のように泣きじゃくり、大声で叫んだ。「ヘンデルこそ我々すべての師だ!」
~パトリック・カヴァノー著/吉田幸弘訳「大作曲家の信仰と音楽」(教文館)P32
事の真偽は不明。しかし、ハイドンやモーツァルトも夢中にさせた「メサイア」は間違いなく本物だ。
ウィーンに移って間もない頃、モーツァルトはスヴィーテン男爵邸に通い、そこでヘンデルやバッハの音楽に出会ったようだ。
・・・ぼくは毎日曜日の12時に、スヴィーテン男爵のところへ行きますが、そこではヘンデルとバッハ以外のものは何も演奏されません。
ぼくは今、バッハのフーガの蒐集をしています—ゼバスティアンのだけではなくエマーヌエルやフリーデマン・バッハのも。それからヘンデルのも。そしてぼくのところには、この〇〇だけが欠けています。そしてぼくは男爵には、エーバリーンのものも聴かせてあげたいのです。イギリスのバッハが亡くなったことは、ご存じでしょうね。音楽の世界にとって惜しむべきことです!・・・
(1782年4月10日付、ザルツブルクの父レオポルト宛)
~柴田治三郎編訳「モーツァルトの手紙(下)」(岩波文庫)P54
同時期、姉ナンネル宛にもモーツァルトは手紙を書く。話題はやはりヘンデルやバッハから学んだフーガのことだ。
このフーガ(前奏曲とフーガハ長調K.394(383a))が生まれた原因は、実はぼくの愛するコンスタンツェなのです。ぼくが毎日曜日に行っているファン・スヴィーテン男爵が、ヘンデルとゼバスティアン・バッハの全作品を(ぼくがそれをひと通り男爵に弾いて聴かせた後で)ぼくにうちへ持って帰らせました。コンスタンツェがそのフーガを聴くと、すっかりそれの虜になってしまい、もうフーガより他には、特に(この種のものでは)ヘンデルとバッハより他には、何も聴こうとしません。そこでぼくが時々、即興でフーガを弾いて聴かせたので、まだそんなのを書いたことがないのかと、尋ねました。その通りだ、と答えると、音楽の中でもいちばん技巧的な、いちばん美しいものを書こうと思わなかったのかと、さんざん悪口を言うのです。そして、フーガを一つ作ってやるまで、せがんでやまないのです。そんな風にして、これができました。
(1782年4月20日付、ザルツブルクの姉ナンネル宛)
~同上書P55-56
グールドのハイドン&モーツァルト(1958.1録音)を聴いて思ふ それから数年後、スヴィーテン男爵はモーツァルトに「メサイア」の編曲を依頼する。
初演から半世紀も経たない頃とはいえ、音楽史の変遷は著しく、現代風(モーツァルト時代のことだが)のアレンジを求めての依頼だった。
しかしモーツァルトはヘンデルの作品を縮小したり部分的に改変したばかりではなく、むしろその楽器法を根本的に変えている。18世紀の後半には、—とくに進歩的なウィーンにおいて—音楽の趣味は激変した。ヘンデルのコーラスや旋律上の独創性に対して払われた尊敬の念にもかかわらず、アリアの構成は一様であるように見受けられた。ヘンデルの楽器法は「粗野」(ヒラー)また「流行遅れ」(ニッセン)と見られ、それはバロック・オーケストラの硬い響きのせいだとされた。この欠陥を補うため、モーツァルトの編曲においてはフルートやオーボエ、クラリネット、ファゴット、またホルンが、音楽の基本的な気分を詩的に表示するものとして現れる。例えばコーラス〈羊たちの行くごとく〉Wie Schafe geh’nでは羊の逃げる様が管楽器による8分音符の繰り返しによって生き生きと描かれている。
(アンドレアス・ホールシュナイダー/渡部惠一郎訳)
~UCCD-4008/11ライナーノーツ
柔かく、瑞々しく、そして一層明るさを(それも俗的明朗さを)取り戻した名オラトリオのあまりの美しさ。
ウィーンは、楽友協会大ホールでの録音。
半世紀以上が経過する録音だが、全編を通じて、明晰な音楽が披露され、合唱などはどのナンバーも魂が縦横に揺さぶられるほど感動的。
終曲の壮麗なるティンパニの響きが音楽の荘厳さを一層際立たせる。モーツァルトの魔法なり。
衝撃の1949年、ザルツブルク音楽祭での「魔笛」。いわゆるピリオド解釈推奨派の皆様にはおそらく受け入れ難いであろう、浪漫色満載、思い入れたっぷりの近代的モーツァルト演奏は、序曲冒頭の和音からいかにもフルトヴェングラーだと ... ]]>

衝撃の1949年、ザルツブルク音楽祭での「魔笛」。
いわゆるピリオド解釈推奨派の皆様にはおそらく受け入れ難いであろう、浪漫色満載、思い入れたっぷりの近代的モーツァルト演奏は、序曲冒頭の和音からいかにもフルトヴェングラーだとわかる、フルトヴェングラー・フリークには堪らない唯一無二のもの。
アインザッツの見事なずれ、遅々としたテンポで、かつあまりに重い演奏は、眉をしかめる人もあろう。しかし、ここからすでに「魔法」が始まっているのだ。
作品解釈についての、1934年のフルトヴェングラーの論文が興味深い。
フルトヴェングラーはいわゆる楽譜忠実主義と自由な解釈主義とは表裏一体だという。しかし、それはもはや長続きしないものだともいう。
今や私たちのようやく理解しはじめた事柄であるが、一方「楽譜に忠実な演奏」、他方、かぎりない解釈の自由、あるいは「創造的・即時代的な」再現への要求という一見ひどく矛盾する二つの傾向は、相反を呈しつつ同じ時代に台頭しているが、これも決して偶然ではない。それどころか、両者はまさに宿命的な関連を有し、あたかも同じメダルの表裏をなし、両者ともに一つの源泉から発し原因を同じくしているように、思われる。
「作品解釈について」(1934)
~フルトヴェングラー/芦津丈夫訳「音と言葉」(白水社)P84-85
フルトヴェングラーは表裏一体というが、楽譜忠実主義には懐疑的であり、反対派であることを表明する。その理由はこうだ。
作曲家の状況を考えてみるならば、彼の出発点とは無であり、いわば混沌であり、彼の終点とは形成された作品である。ここにいたる道程、つまり比喩的に言うならば混沌の「形象化」は、彼にとって即興演奏の行為のうちに実現する。即興演奏とは事実あらゆる真の音楽演奏の根本形態なのである。のびやかに空間の内部へと振動しつつ、一度きりの真の出来事といて作品は生成する。作品とは、いわば心的事象の似姿だといえよう。この「心的事象」は一つの有機的・自発的なプロセスであり、これを意図すること、強要すること、また論理的な方法で案出したり算出したり、なんらかの仕方で構成したりすることは不可能である。
~同上書P85-86
なるほど、昔から音楽とは「即興」だったというのである(その意味でジャズ音楽やロック音楽のあり方の方がより音楽的だといえるかもしれない)。そして、演奏家にとって作品とはそもそも何であるのかとフルトヴェングラーは問いかけるのだ。
まず第一に、印刷された手本である。彼が依拠しうるもの、また依拠せねばならぬものとは、自己の魂の固有な生命ではなくして、他者がとっくに形成し終えた作品の、すみずみまですでに完成された個々の部分である。彼は作曲者のように前進するのではなくして、いわば後退を強いられ、創作者のように内から外に向かうのではなく、あらゆる生命の進路に逆らって、外から内へと歩まねばならぬ。彼の道程を特色づけるものは即興演奏、すなわち自然な成長ではなくして、出来上がった細部を同時に読みとり、新たに配列するという労苦に満ちた作業である。これらの細部は作曲家の場合には—すべての有機的な過程に見られるように—全体のヴィジョンに抵抗なしに従い、そこから自己の論理、固有の生命を獲得することができた。それに対して再現芸術家は、創作者を導いたこのような全体のヴィジョンを現存する細部から苦労して読みとり、それを復元せねばならぬ。ここに示される状況ならびに課題の相違のうちに、まさに演奏の問題がひそむのである。
~同上書P86-87
自身が指揮者ではなく、作曲家として認められたかったフルトヴェングラーの本意はこういうところにあったのかもしれない。しかし、フルトヴェングラーは自身も偉大な再現芸術家であった。その「偉大さ」の事由は、次のように言及される。
ところで、個々の部分以外にはなにひとつ明確に与えられていない解釈者は、彼なりに全体に到達するためには事態にかに対処すべきであるかという問いが生じる。彼はまずそれらの部分を可能なかぎり、またそれにふさわしいと思われる仕方で組み合わせることを試み、ついでそれらを多かれ少なかれ趣向をこらして、あたかも花びんの草花を整えるように配列することを試みるであろう。しかしながら、器用な演出家のこのような「配列」と、芸術家、創作者の手になる有機体の必然的・論理的な形成との間には相違が認められる。いかに見事に組み合わされていても、このような仕方で生まれたものは常に既存の、完全に仕上がった部分からの合成物にすぎず、いまだかつて巨匠の真の作品、あらゆる部分の、いわば即興風に必然的な連関をともなう生きた経過となりえたことはない。製作行為、すなわち作品の再創造における本来の出来事を、およそジークフリートの剣の鍛え直しの伝説を取りあげたヴァーグナーほど本質的に、あざやかに表現した人はいない。いかに巧みな鍛冶工によろうとも、切片の溶接だけでは二つに割れたものを元通りに結合することはできない。全体を粉砕して泥上のものにし、比喩的に言うならば、これによって原初の状態、いわば創造に先立つ混沌を呼びもどす、ここにはじめて全体の新しい形成が可能となり、作品は原初の姿に復元され、真の意味で新たに創造されるのである。
~同上書P88-89
フルトヴェングラーの再現方法はかくの原理の許にあったことが理解できることで、彼の遺した数多の録音の意味と意義が一層腑に落ちる。
1949年の「魔笛」はほとんど即興のような態を魅せるのは、再現芸術家としてのフルトヴェングラーの真骨頂だ。
ところで、フルトヴェングラーは、戦争による混乱と、まさに原初に戻されたような混沌とした世界にあって、戦後、指揮台復帰後、ザルツブルクに大きなチャンスを見出したといわれる。1949年のプログラム記事に彼は次のように記している。
ザルツブルク音楽祭は、ルツェルン、エディンバラ、ヴェニスなどの音楽祭とは性質を異にしている。ラインハルトその他の人々がこれに関与しているとはいえ、ザルツブルク音楽祭は個々の人間から成り立っているのではない。もっと重要なものは、個々の人間の背後にある精神、すなわち個人の功名心などはまったく問題とせず、音楽祭をして特定の芸術精神の発露としている精神である。また人々は、特定の風土からは特定の影響力が生まれるなどとも言う。人々はオーストリア気質について語り、モーツァルトについて語る。もちろんそのいずれもがもっともなことであろう。しかし、うぬぼれた自己観察のうちに自らを語り、自分を「取り引き」の対象物として世界に宣伝し、自意識過剰となったオーストリア気質は、すでにその最もすぐれた側面をなくしてしまっている。飾り人形、風俗、ポスターとして現われるモーツァルトなどは、もはや真の守護神とは言えない。たんなるオーストリア気質よりも深いなにものかが存在している。だからモーツァルトの作品にザルツブルク音楽祭の本来の姿、あるべき姿を反映させるためには、モーツァルトをその全存在において捉えねばならぬ。土地に根ざし、その土地固有のものとなった芸術感情ならびに生命感情、その基盤の上にザルツブルク音楽祭は成立するのである。モーツァルトの名において自己のたぐいない複合性と混合性とをみごとに特色づけられる、あのオーストリア的・ドイツ的な文化環境が、自らはそれを意識することなしに、この音楽祭のなかにまぎれもなく自己の表現を見出したのである。ザルツブルク音楽祭は世界に語るべきなにものかを持っている。なぜならこの音楽祭は、自己の背景をなすこの土地をさしおいては、事実、世界の他のどこにおいてもこれほど人間の全生命と結びつき、真剣に受けとられ、生気あるものとはなりえない—もちろん音楽上の—事物を対象としているからである。
「ザルツブルク音楽祭」(1949)
~ヴィルヘルム・フルトヴェングラー/芦津丈夫訳「音楽ノート」(白水社)P153-154
その上で、「生命の真髄」として人々に理解、受容されるのが人類救済の物語である「フィデリオ」であり、「魔笛」でなければならないのだとフルトヴェングラーは締める。
1949年の「魔笛」のすごさは、彼の文章からもひしひしと伝わるのだ。
ならば、音楽を聴こう。そのときの実況録音を耳にしよう。
一期一会の、即興的なモーツァルトがここにはある。
フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルのベートーヴェン「フィデリオ」(1948.8.3Live)を聴いて思ふ 集中力が途切れることなく、第2幕フィナーレにたどり着いた瞬間、深い感動がこみ上げる。音は決して良くないが、そんなことは忘れてしまうほど音楽的であり、深い。
まるでその日、フェルゼンライトシューレの座席に座って観劇しているかのような錯覚さえ覚えるのだ。
フルトヴェングラーのモーツァルトへの傾倒は、世間の、モーツァルトがかつてないほど絶対的なものとして崇敬する精神と共鳴した。モーツァルトがこのときほど重要だと思われたことはかつてなかった。モーツァルトの音楽の絶対性を通して、多くの人々は、とりわけ「千年王国」の混沌の中で喪失してしまっていた人間性への信仰を取り戻したのだ。
(ゴットフリート・クラウス)
世界を真に再生する鍵がここにある。
フルトヴェングラーの「魔笛」(1949)
その力量とは裏腹に、本人は相当臆病なマインドの持主のようだ。いつだったか、マルタ・アルゲリッチがベートーヴェンの「皇帝」を披露するというので、僕は興奮してチケットを手に入れた。その日を心待ちにしていたが、残念ながらプログ ... ]]>

その力量とは裏腹に、本人は相当臆病なマインドの持主のようだ。
いつだったか、マルタ・アルゲリッチがベートーヴェンの「皇帝」を披露するというので、僕は興奮してチケットを手に入れた。その日を心待ちにしていたが、残念ながらプログラムは本人の希望で変更され、モーツァルトのニ短調協奏曲K.466に落ち着いた。
もちろんそれはそれで大変な名演奏だったので良かったのだが、それでも僕は、彼女の弾くベートーヴェンの「皇帝」が聴きたかった(その思いは今も変わらない)。
彼女の幼年期の、興味深いエピソードがある。
開演時間は遅く、演奏会が午後9時半スタート、2回の休憩時間を挿むので真夜中まで続いた。小さなマルタにしてみれば、いつまでも終わらず、座席で眠りこんでしまうこともしばしばだった。とはいえ1947年、まだわずか6歳だったが、人生を通じて重要な意味を持つ一夜を経験した。チリ人のピアニスト、クラウディオ・アラウがベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番ト長調を演奏したのだ。最初の数音で、マルタは新しい光を放射された心地がした。崇高な緩徐楽章で、まずピアノとオーケストラが競いあい、そののち、無限とも思えるトリルにのって融合していき、聴いていて髪の毛が根元から逆立つかというほど強く感動した。その後、彼女はこの協奏曲を断固として公開で弾こうとしなかった。この曲はあまりに大きかった音楽的な衝撃を思いおこさせ、それは強烈な体験であり、心的外傷にも似ていた。指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーがベートーヴェン《ミサ・ソレムニス》に対して抱いたという思いにも近いのかもしれない。ドイツ音楽の名演で知られる名匠が、この曲の指揮は自分の手には負えないと判断していた節がある。「きっと、触れてはいけないほど神聖な何か。わたしだったら、きっと舞台でそのまま死んでしまうだろうというくらい」とマルタがさりげなく言う。クラウディオ・アバドとシャルル・デュトワがしきりとこの曲を弾かせようとしたが、無駄だった。
~オリヴィエ・ベラミー著/藤本優子訳「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」(音楽之友社)P45
アラウ&バーンスタインのベートーヴェン第4協奏曲(1976.10.17Live)ほかを聴いて思ふ 周囲が勧めて一旦はその気になっても、直前になって怖気づき、必ずと言っていいほど彼女は翻意するらしい。ベートーヴェンの協奏曲で重要な第4番ト長調と第5番変ホ長調「皇帝」がレパートリーから欠落しているのは本当に残念だ。
ルガーノ音楽祭から。
十八番のベートーヴェンの、煌めくピアノの音色。
聴けば聴くほど、味わい深い名演奏であるがゆえに、第4番ト長調や第5番変ホ長調「皇帝」が「ない」ことが余計に悔やまれるのである。しかし、ないものねだりは止そう。
今や、(いつの頃からか)彼女の意志はどちらかというと協演、あるいは室内楽に向いている。
ガーニングとのプーランクの、丁々発止の激しさは、若き日のアルゲリッチの劇性を一層強化した傑作のひとつと言える。とはいえ、素晴らしいのは第2楽章ラルゲット!
(これほどプーランクの洒脱を、哀感を訥々と表現し得たデュオがあったかどうか)
あるいは、グルダの息子たちとのモーツァルトは、真にアットホームな印象で、皆が音楽を愉しんでいる様子が手に取るようにわかる(20年前!)。
この曲を僕は前述のコンサートで聴いた。確か、フリードリヒ・グルダに捧げたコンサートでの一幕だったと記憶する(ピアノも同じくパウル&リコ・グルダと分けた)。
マルタ・アルゲリッチは文字通り音楽を楽しみたいのだろうと思う。
そして、それを誰かと分かち合いたいのだ。第3楽章ロンドで協奏曲第21番ハ長調K.467第2楽章アンダンテの有名な主題が木魂する瞬間の可憐さ、そして感動。
ピアノ・デュオを得意とするマルタ・アルゲリッチの演奏には、どういうわけかソロのとき以上に哀感が付きまとうことを、僕は以前から不思議に思っていた。愉悦に溢れるモーツァルトのソナタにも悲しみが感じられた。そういえば、その昔、 ... ]]>

ピアノ・デュオを得意とするマルタ・アルゲリッチの演奏には、どういうわけかソロのとき以上に哀感が付きまとうことを、僕は以前から不思議に思っていた。愉悦に溢れるモーツァルトのソナタにも悲しみが感じられた。そういえば、その昔、サントリーホールで聴いたネルソン・フレイレとのデュオもそうだった。
“ピアニストたちの通り”は、悲劇がなんの警告もなしに降りかかってきた日まで、ドラマと苦悩の場所であった。悲劇はマルタの近しい友二人を襲った。二人はデュオ・クロムランクの名で知られていた。素晴らしいピアニストたちで、連弾や二台ピアノの曲を惚れ惚れするみごとな演奏で聞かせ、その録音(クラーヴェス・レーベル)は目も覚めるような美しさだった。マルタはパトリック・クロムランクがステファン・アスケナーゼの弟子だった若い頃から知っていた。ベルギー人のピアニストはその後、モスクワで腕に磨きをかけ、ウィーンのディーター・ウェーバーのもとで学びを続け、そこで日本人ピアニスト、桑田妙子と出会った。彼女はパトリックの妻となり、音楽上の専属パートナーとなった。1974年、二人はデュオ・クロムランクを結成し、すぐさまその力にふさわしい名声を得た。マルタは二人が大好きだった。
~オリヴィエ・ベラミー著/藤本優子訳「マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法」(音楽之友社)P246-247
まさに親友という関係だったようだが、突然彼らを襲った悲劇にマルタは何を思ったのか。
デュオ・クロムランクのブラームス交響曲第1番&第4番(4手編曲版)を聴いて思ふ 1994年7月、翳りのない20年間ののち、デュオで録音したシューベルトの幻想曲ヘ短調を聴き、パトリックが言った。「これで二人のデュオの録音は最後にしよう」と。激しい口論となった。それまで一度もなかったことだった。夜が明けても、パトリックはそれ以上を言おうとしなかった。二人はマルタに会いにきた。マルタは旅から戻ったところだった。
口論と涙の夜を過ごしたあとで、二人はどちらの気持ちも察していたマルタの思いも虚しく、恐ろしい言葉が発せられた。だが、愛情が損なわれることはなかった。
5日後、パトリックの遺体が、首をつった妙子の足もとで発見された。理想的な夫婦だった二人は、ロミオとジュリエットと同じ運命を選んだのだ。妙子は喪のしるしに髪を切っていた。それは、彼女の祖国での死者を悼む伝統を奇妙なほど連想させた。
~同上書P247-248
理由は何であれ、自死は避けるべきだったと思うが、デュオ・クロムランクの美しい録音たちは遺された。生きることに、演奏することに命を懸けてきた二人にとって、否、特にパトリックにとって、たぶん、たぶんだけれど、創造の種となるインスピレーションが切れた瞬間だったのかもしれない。あるいは、仲良く見えた二人の関係に、目に見えない苦悩や苦痛があったのだろうと思う。恩か仇か敵だといわれる夫婦関係にあって、その因縁は、ピアノ・デュオでは超えることができなかった。
ベルリンはフィルハーモニーでの特別なピアノ・デュオを久しぶりに聴いた。
ブエノスアイレス生まれのほぼ同年代の天才ピアニスト二人の饗宴。
まったく性格の異なる二人のピアノが一つとなるとき、奇蹟は生まれる。
モーツァルトもシューベルトも実に清澄な、力のこもった名演奏だが、最高なるはストラヴィンスキーの「春の祭典」!!
大地から湧き上がる原初の音。
太古の人々は、自然と一体になって生きてきた。
その生命力の発露と、乙女の生贄という儀式を通して生と死が一つであることを顕す、喜びと悲哀の歌。バレンボイムが表だとするならアルゲリッチは裏だ。陰陽相対という後天世界にあって、モーツァルトは表か裏か、あるいはストラヴィンスキーはその逆か、実際のところそんなことはどうでも良いくらいに音楽は白熱する。光と翳があっての音楽美、あるいは動と静が錯綜する、切れ味抜群の音楽に驚嘆する。
当日のフィルハーモニーの聴衆が羨ましい限り。
毎週、マルタは母に連れられ、タルカウアノ通り1257番地のエルネスト・ロセンタル宅で催される音楽サロンへ行くのが習慣となっていた、ロセンタルはオーストリア生まれのユダヤ人富豪で、趣味でヴァイオリンを弾き、金曜日の午後に自宅で音楽サロンを開いており、当地に滞在中の有名音楽家を招くのが恒例となっていた。アラウ、ソロモン、ルービンシュタイン・・・。自分がピアノを弾く番になると、マルタはテーブルの下に隠れて務めを逃れようとした。彼女をそこから出すのは、マルタよりも少しだけ年下のダニエル・バレンボイムの役目だった。この若き天才児は同時代の偉大な音楽家となったが、マルタとは正反対に、人前での演奏になんの抵抗も感じていなかった。ダニエルの両親は二人ともピアニストで、その弟子が次から次へと家へ来てピアノを弾くのを、物心ついた頃から目のあたりにしていた。のちに、世の中にはピアノを弾かない人も存在すると知り、ダニエルは驚愕したという。7歳のときロセンタル宅で指揮者セルジウ・チェリビダッケと出会い、強い影響を受けた。そしてダニエルの室内楽演奏を聴いたイーゴリ・マルケヴィチは、この少年はいつの日か指揮者になるだろうと予言した。
~同上書P42
アルゲリッチ&バレンボイムのストラヴィンスキー「春の祭典」ほか(2014.4.19Live)を聴いて思ふ
あらためてストラヴィンスキー
K.319の美しさを教えてもらった録音。しかも、そのリハーサル風景となると、一層興味深く耳を凝らして聴きたくなる。 力のこもった指示に、オーケストラは見事に感度良く反応する。音楽の内側から湧き出す躍動は、ヨーゼフ・クリッ ... ]]>

K.319の美しさを教えてもらった録音。
しかも、そのリハーサル風景となると、一層興味深く耳を凝らして聴きたくなる。
クリップス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管のモーツァルトK.319(1973録音)を聴いて思ふ 力のこもった指示に、オーケストラは見事に感度良く反応する。
音楽の内側から湧き出す躍動は、ヨーゼフ・クリップスの真骨頂だ。
21歳のモーツァルトが繰り出す音楽には、すでに歌劇「魔笛」の音調が垣間見られ、典雅な交響曲の調べから、やはりすでにこの「神童」が完成形にあったことが理解できる。
・モーツァルト:交響曲第33番変ロ長調K.319—リハーサル
ヨーゼフ・クリップス指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(1973.9録音)
イタリア風3楽章交響曲からウィーン風4楽章ものにするのに後に加えられた第3楽章メヌエットの自然体の美しさに痺れる。(クリップスはリズムを明確にすることをアピールするようだが、鼻歌を交えながらの渾身のリハーサルがとにかく感動的)
私はある芸術家と何回か会った経験があるが、彼の仕事が私の生活を豊かにし深めてくれたにもかかわらず、別れた後では必ずこう自問せずにはいられなかった—「あの輝かしくて繊細な仕事が、なぜこんな男から生まれるのだろうか?」と。けれどもベルイマンとの2時間は、ベルイマンの最高に創造的な作品のどれに感じるのと比べても劣らぬ充実した経験だった。事実、私は、彼自身の顔につけた仮面は、彼の最善の映画の中に少しずつ、本当に少しずつ入れているもので一杯なのだという感じにしばしば打たれたのである。この数日間現実のベルイマンと一緒にいたことは、ベルイマンの映画を経験することであった。それこそは、いつもわれわれが見たいと思い、いつも彼が作りたいと願っている、ベルインマン映画の全体像なのだ。
わたしも創造の瞬間にいあわせたことは何度もあるが、それは実に感情にあふれた経験なので、言葉では私には言いあらわせない。
(G.ウィリアム・ジョーンズ)
~ウィリアム・ジョーンズ編/三木宮彦訳「ベルイマンは語る」(青土社)P248-249
それはあくまでイングマール・ベルイマンにまつわるエピソードだが、すべての芸術家に当てはまるだろう真実のように僕には思える。ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトも、そしてヨーゼフ・クリップスも「なぜこんな男から?」と思われるような一面があったのではなかろうか? 芸術の創造とは、普遍的な作品を生み出す力とは、現実とは相いれない、不可思議なものだ。
若い頃、僕は宇野さんの影響を随分受けていたのだと、音盤棚を見ながらあらためて思った。鳥羽泰子というピアニストがいる。実演は聴いたことがない。いつぞや宇野さんが、リリー・クラウスの再来だとか、彼女の参加した「大公」トリオは ... ]]>

若い頃、僕は宇野さんの影響を随分受けていたのだと、音盤棚を見ながらあらためて思った。
鳥羽泰子というピアニストがいる。実演は聴いたことがない。いつぞや宇野さんが、リリー・クラウスの再来だとか、彼女の参加した「大公」トリオは、カザルス・トリオ以来の名演奏だったという言葉を並べていたのを読み、早速僕は彼女の弾くモーツァルトのソナタ全集を手に入れた。
鳥羽泰子のモーツァルト「ピアノ・ソナタ全集」第2巻を聴いて思ふ
鳥羽泰子のモーツァルト「ピアノ・ソナタ全集」第1巻を聴いて思ふ
鳥羽泰子のモーツァルト「ピアノ・ソナタ全集」第4巻を聴いて思ふ
本日、小休止 確かに素敵な演奏であり、美しいモーツァルトだと思った。
ただ僕は、彼女の実演には触れていない。だから、果たしてその真価を僕に云々することはできない。過去の並み居る巨匠、伝説のピアニストたちと同等の、あるいはそれを上回る音楽家であるのか、そこは今となっては正直疑問だ。
しかしながら、朝比奈隆の素晴らしさや、ハンス・クナッパーツブッシュのすごさを世に知らしめたのは宇野さんの功績であることは確かだ。一方、カラヤンの音楽を薄っぺらいと貶したのは宇野さんの罪でもある。何にせよ、他人の意見に翻弄された僕自身の心の問題に気づいた今、やっぱり音楽は自分の耳で確認して確かめる以外に術はないことが身に染みる。
音楽の世界にはまって半世紀ほどが経過する。
僕の耳は肥えたのかどうか。
良し悪しを判断する耳は培えたように思うが、一方で、演奏家それぞれに特長があり、それを独断的物差しで云々するのは危険だということも理解できるようになった。その上で、どんな演奏にも聴くべきところがあると今の僕は思う。
他人の評価など糞食らえ、と岡本太郎はいつぞや言った。
その通りだと思う。
リリー・クラウス、カザルス・トリオ云々、そのあたりの比較評価はともかくとして、今僕はあらためてじっくり鳥羽泰子を聴く。
ザルツブルク時代のモーツァルトの純心、そして無垢。そこにはいかにもモーツァルトらしい、光と翳が交錯する。その心の機微を鳥羽は確かに見事に表現する。
個人的には第4番変ホ長調K.282(189g)と第5番ト長調K.283(189h)を特別に愛するが、その理由は、高校生の頃、ヴィルヘルム・バックハウスの弾いた同曲の刷り込みがあるからだろう(当時、繰り返し聴いたレコードの印象は強烈だった)。
鳥羽の演奏は、第4番、第5番よりもむしろ第1番から第3番に一日の長があると僕は思った。習作を除く、モーツァルトの初期ソナタの魅力は、ワルターが俗見だと語った「ロココの微笑」、まさにその雰囲気が醸される点だと思うのだが、それこそが熟成される前のモーツァルトの特長であり、また聴きどころであるゆえ、そこを見事に彼女は表現し得ていると思うからである。
宇野さんの評はあえて横に置くとして、今僕は率直にそんなことを思う。
枯淡のモーツァルト。しかし、枯れているわけではない、浪漫豊かなモーツァルト。ピリオド解釈全盛の現代にあって、古き良き時代の心を歌う、近代オーケストラのためのモーツァルト。ここにこそ普遍性がある。この優れた安定感こそブルー ... ]]>

枯淡のモーツァルト。しかし、枯れているわけではない、浪漫豊かなモーツァルト。
ピリオド解釈全盛の現代にあって、古き良き時代の心を歌う、近代オーケストラのためのモーツァルト。ここにこそ普遍性がある。この優れた安定感こそブルーノ・ワルターの真骨頂であり、また、巨匠の音楽的遺言であるように僕は思う。
80歳のワルターがアルベルト・シュヴァイツァーに宛てた手紙。
なによりも私にだいじでありましたのは、世人が『フィーガロ』の作曲家をそうと思い込みがちな、ロココの「微笑する」音楽家像という俗見にたいして、モーツァルトの心意の高さを指摘することでしたが、これは創作の夙い時期から見られるもので、芸術に向かう彼の真剣さにも、同じく彼の音言語の気高さと天使のような晴れやかさにも、主題選択のなかにまで顕われておりました。彼の手紙の陽気な調子が、真実のモーツァルトを隠しえたことはいちどもありません。それは心からの(ただに教義上にとどまらぬ)彼の敬虔さであり、死との彼の近しさであって、最後には『アーヴェ・ヴェルム』に表わされて聞き取れる底のものなのです。さらに私が確信するところは、清澄を求めて努力するモーツァルトの魂を、シカネーダーのリブレットに引きつけたのが、火と水の試練—とはつまり秘儀伝授の神秘的な過程—だったことで、台本に彼が加えたさまざまな変更も、その点から理解されるわけです。
(1956年5月、アルベルト・シュヴァイツァー宛)
~ロッテ・ワルター・リント編/土田修代訳「ブルーノ・ワルターの手紙」(白水社)P337
どこまでもモーツァルトの擁護者であったブルーノ・ワルターの、モーツァルトへの理解と愛情は底なしに深い。まさに巨匠はモーツァルトの魂と一体だったといえまいか。そしてまた、最晩年(亡くなる11ヶ月前!)の手紙をひもとくと次のようにある。
先週は、当地の優れた管弦楽団とともに、モーツァルト曲『フリーメーソンのための葬送音楽』をレコード録音しました。毎日死を思ったモーツァルトは、この崇高な作品において、彼の厳かな充実した境地に、こよなく高い表現を与えたのです。数年前のことでした。今は亡き尊敬する親愛な奥さまともども、貴下はベルンの演奏会に出席されましたが、その際この作品を私は演奏いたしました—きっと覚えておられましょう。先の管弦楽団と周到な仕事をして得られた最終結果は、この作品のほぼ完璧な演奏ともいうべく、デーリア・ラインハルトと私にとって—われわれは心こめて貴下を偲んでいました—敬愛する奥さまのための追悼式になりました。
われわれ両人は、これをお知らせすべきではないかと思いましたので、レコードを聞くのがお気に召しますれば—技術の進歩が音楽再生の驚くべき忠実度を可能にした現在のことゆえ—喜んで一枚お送りいたしましょう。ただし、レコードは半年ほどせぬとご利用いただけぬでしょう。その頃には、よい装置も整えておられると存じます。
(1961年3月18日付、アルベルト・シュテッフェン宛)
~同上書P366
ワルターのモーツァルトへの敬愛と同時に、録音技術の進歩に伴うレコード芸術という恩恵に与れる幸運が語られる。もはや、この最後の管弦楽曲集は、50年代の「ミラベル庭園」というレコードとは比較にならない透明感を獲得した人類の至宝だといえる。
確かに少し前の録音たる「アイネ・クライネ」にはいまだ「エゴ」が存在する(悪い意味ではない)。
しかし、「劇場支配人」から「葬送音楽」までの5曲にはそれがない。
これにてワルターのコロンビアへの録音は打ち止め。
(未聴の人には是非とも傾聴いただきたい、僕の座右の音盤)
室生犀星「抒情小曲集」から小景異情その二。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや
~福永武彦編「室生犀星詩集」(新潮文庫)P17-18
そして、その四
わが霊のなかより
緑もえいで
なにごとしなけれど
懺悔の涙せきあぐる
しづかに土を掘りいでて
ざんげの涙せきあぐる
~同上書P18
同じ文言でも表記を変える方法に、センスを思う。
まるでブルーノ・ワルターのモーツァルトに漂う空気と同じものだと僕には感じられる。
詩と音楽は根っこを同じにするのかもしれない。
指揮台上で足を踏み鳴らす音、そして激しい唸り声。晩年のパブロ・カザルスが指揮する様子が記録されたモーツァルトはどれもが90歳前後の老人の音楽とは思えぬ激しい情感の奔流であり、涙が出るほど人間的で、感動的だ。 剛毅な精神と ... ]]>

指揮台上で足を踏み鳴らす音、そして激しい唸り声。
晩年のパブロ・カザルスが指揮する様子が記録されたモーツァルトはどれもが90歳前後の老人の音楽とは思えぬ激しい情感の奔流であり、涙が出るほど人間的で、感動的だ。
剛毅な精神とはなんなのか、またそれがうみだす音楽がいかなるものかを知りたくなったとき、ぼくは、くりかえしくりかえし、このディスクをきくにちがいない。なぜならここに、ぼくの知るかぎりでのもっとも剛毅な精神の持主であるカザルスを実感できるからだ。
(黒田恭一、1971年・記)
~SICC431-3ライナーノーツ
なるほど「剛毅な精神」とは言い得て妙。
生命力の塊のような音楽は、聴き手に途方もない希望を与えてくれる。まして90歳前後の老指揮者が渾身の力を振り絞って音楽をする様子は、僕たちに生きることの大切さまで教えてくれるのだ。(人は誰しも課題を抱えて生れてくる。どんな苦難からも逃げないことだ)
「語るための時間というものがある」。彼は非常に見事な技法で、その時間を守った!
「沈黙するための時間というものがある」。それは、(ヘンデルの)オラトリオ『メサイア』の最後の印象的な休止を思いおこさせる。ヘンデルは突然、すべてのパートを休止させ、その沈黙のなかに作品全体を集約させる。曲の最後をしめくくる前に、さらにあの世からやってくるすべてのものを曲のなかにとりこむ。そして最後に、「ハレルヤ!」と声高らかに叫ばせるのである。
エルネスト・クリステン『パブロ・カザルス』所収
~ジャン=ジャック・ブデュ著/細田晴子監修/遠藤ゆかり訳「パブロ・カザルス―奇跡の旋律」(創元社)P117
「語るための時間」と「沈黙するための時間」という対比。
それこそ音楽に「キレ」を生む大事な相対だろう。
そして、カザルスの音楽にはその「キレ」というものが如実だ。そこにこそ真の生命が刻まれるのだろうと思う。
カザルス指揮マールボロ音楽祭管のモーツァルト「プラハ」K.504(1968.7.14Live)を聴いて思ふ モーツァルト:
・交響曲第38番ニ長調K.504「プラハ」(1968.7.14Live)
・交響曲第39番変ホ長調K.543(1963.7.12Live)
パブロ・カザルス指揮マールボロ音楽祭管弦楽団
真夏のマールボロ音楽祭。
最晩年の「プラハ」交響曲がことのほか素晴らしい。
手に汗握る第1楽章アダージョ—アレグロ。
また、安寧の表情に癒される第2楽章アンダンテには、未来の平和獲得へのカザルスの願いがこもるよう。
1962年に、カザルスはこう宣言した。
「私がいなくなっても、プラード音楽祭はつづけなければならない。私がはじめたこの活動は、存続しなければならない。音楽は祈りのように人を高め、人びとを結びつける。この活動を終わらせてはならない。私のまわりにいた人びと、これからやってくる人びとが、つづけなければならない」
~同上書P94
そして、遅めのテンポで堂々と繰り出される終楽章プレストの(プレストではなかろう)、慈愛。聴衆の感動の拍手が心に染みる。