トスカニーニがブゾーニと知り合いになった1911年は、20世紀音楽史上で劇的な年だった。イーゴリ・ストラヴィンスキーが《ペトルーシュカ》を完成し、《春の祭典》の大部分を仕上げた。ベラ・バルトークが《青ひげ公の城》を作曲し ... ]]>

トスカニーニがブゾーニと知り合いになった1911年は、20世紀音楽史上で劇的な年だった。イーゴリ・ストラヴィンスキーが《ペトルーシュカ》を完成し、《春の祭典》の大部分を仕上げた。ベラ・バルトークが《青ひげ公の城》を作曲し、アルノルト・シェーンベルクが6つのピアノ小品を作曲し、そして、アントン・ヴェーベルンが管弦楽のための5つの小品作品10に取り組み始めた。これらの作曲家は、同時代の画家、彫刻家、詩人がそれぞれの芸術に大変革をもたらしていたのとほぼ同じように、欧州の芸術音楽のまさに基礎を揺るがしていた。トスカニーニが10歳か20歳若ければ、ドビュッシーやシュトラウスの急進的な音楽を数年前に受け入れたのと全く同じように、新しいレパートリーへと乗り出していたかも知れない。しかし、彼は今や40歳代半ばであり、ストラヴィンスキー、バルトーク、シェーンベルク及びヴェーベルンが子供だった時以来、プロの指揮者だった。彼の嗜好は、中年期に固まりつつあった。当時のその作品を彼が素晴らしいと見なしたストラヴィンスキーを除いて、トスカニーニは若い急進派を拒絶した。彼は長年新しい音楽を演目に組み入れ続けたが、ごく僅かを除いて、演奏した新しい音楽は保守的なものだった。
~ハーヴィー・サックス/神澤俊介訳「トスカニーニ 良心の音楽家(下)」(アルファベータブックス)P340
ゲルギエフの「青ひげ公の城」を聴いて思ふ
ブーレーズ指揮ベルリン・フィルのヴェーベルン変奏曲(1994.9録音)ほかを聴いて思ふ 保守でも革新でもそんなことはどちらでも良い。
陰陽二元の世界にあって、相反する2つがバランス良く存在するのは当然のことであり、すべてはその人の役割に過ぎないのだから。人は一人一人自分の役割と使命を果たせばそれで良いのだ。
歴史に「たられば」は禁句ゆえ、「トスカニーニがもし」というのも論外。
少なくともストラヴィンスキーのことは大いに認め、ショスタコーヴィチやプロコフィエフについては受け入れていたようだからそれで良し。ソ連の巨匠の各々最初の交響曲がトスカニーニの指揮で聴けるという幸せ。すべてが溌剌たる高鳴りを示す19世紀ロシア、20世紀ソヴィエト音楽の妙。
プロコフィエフの交響曲はハイドン風ということだが、その響きは明らかに20世紀的であり、独自のセンスを感じさせるトスカニーニの棒が、それこそ保守的な方法で音楽を創り出している点が興味深い。
素晴らしいのはショスタコーヴィチ。
ブルーノ・ワルターにこの作品の録音が残されていないことが実に残念だが、おそらくそれを凌駕する力とエネルギーに溢れる演奏だ。
(そもそもワルターとトスカニーニとでは表現スタイルがまったく異なるので比較することはナンセンスなのだが)
(しかし、ワルターもライヴでは内燃する激しいパッションに染まる瞬間が多々あるので、トスカニーニに負けず劣らず劇的な音楽になったかもしれないが)
そして、何と言ってもトスカニーニの愛好する「ペトルーシュカ」の奇蹟!
第1場と第4場の抜粋、中でも「ロシアの舞踊」の喜び、この中庸なる気概。
話を舞台稽古に戻す。いつもの通り問題は山積みだった。まずは音楽。リハーサル・ピアノとオーケストラで聴くのとでは音がまるで違う。踊り手はまごつくばかりだ。舞台は出演者でいっぱいなのに、真っ暗闇の中で舞台転換をしなくてはならない。これをさらに面倒にするのが、ストラヴィンスキーの音楽。音楽の都合で、舞台前のプロンプト・ボックスには4組の大きなドラムのセットが置かれ、舞台転換の間ずっと鳴り続けている。そのうえストラヴィンスキーとフォーキンは、音楽のテンポのことで常に言い争いが絶えない。踊り手は、舞台の上の祭りの飾りものが多すぎて、動く場所がないと文句を言う。また、ブノワがいないので照明プランがはっきりしない。ひと言でいえば、これはいつもの舞台稽古の問題の域を超えている。だが、この混乱から奇跡のように秩序が生まれた。「ペトルーシュカ」は大成功を収めロシア・バレエの栄光に貢献した。そしてディアギレフ・バレエ団が終末を迎えるまで、そのレパートリーに残った。
~セルゲイ・グリゴリエフ著/薄井憲二監訳/森瑠依子ほか訳「ディアギレフ・バレエ年代記1909-1929」(平凡社)P60-61
スキャンダルを起こすストラヴィンスキーの音楽にある本質は秩序だった。
それは、普遍性を獲得した音楽に共通するものだ。
トスカニーニの「ペトルーシュカ」には愛がある。
シェーンベルクの提唱した十二音音楽については概ね否定的だったフルトヴェングラー。晩年の書簡類をひもとくと、その背景にある巨匠の考え方がよくわかる。 クシェネックの著書、お手紙のなかでなにも触れられてはおりませんが、説明が ... ]]>

シェーンベルクの提唱した十二音音楽については概ね否定的だったフルトヴェングラー。
晩年の書簡類をひもとくと、その背景にある巨匠の考え方がよくわかる。
クシェネックの著書、お手紙のなかでなにも触れられてはおりませんが、説明がきわめて適確で充分考えて書かれたものにまちがいなく、この点ルーファーの本よりもはるかに勝っております。しかし、いずれの本を読んでも明らかなことは—お手紙のなかの詳しいご説明によっても結論できることですが—十二音音楽を作る努力はすべて、それがいかに知的で考えぬかれたものであるにせよ、試験管の真空の中で行なわれる実験にも比すべきものだということです。これらの努力が妥協を許さぬ誠実なものであることは充分に評価しますが、人間が—とは、とりもなおさず、現実の全き感性を有する生命はということにもなりますが—この世に生存するのは、ただたんに妥協を知らぬ誠実さだけのためではないと私は思うのです。
(1952年11月21日付、フレート・ゴルトベック宛)
~フランク・ティース編/仙北谷晃一訳「フルトヴェングラーの手紙」(白水社)P268
単なる実験精神に基づく、頭脳音楽なのだと言いたかったのだろうか。
しかし、それから70余年を経た現代では、シェーンベルクの方法が決して間違っていなかったことは明らかだ。(少なくとも感性に訴えかけるものはあるのだから)
そして、半年後の、同じくゴルトベックに宛てた手紙には次のようにある。
しかし、音楽そのものはどうでしょう? ストラヴィンスキーもバルトークもそれぞれ晩年になってから、概してより古典的に、言うまでもないことながら、より調性を重んじる作曲家になりはしなかったでしょうか? そしてこれは、ヒンデミットにもそのまま当てはまるのではないでしょうか? シェーンベルクでさえも、いわば理論の正しさを証明するものと考えられる十二音技法の作曲の他に、晩年にはやはり、純粋に調性的な音楽を書かなかったでしょうか? 例はまだ他にもあります。ヨハネス・ブラームスのような純粋に調性的な作曲家たちが、存命中は取るに足らぬ反動として片づけられるのが常でしたのに、その後不思議なほどだれからも高い評価を受けるようになりはしなかったでしょうか? まだ覚えていますが、15年前までは、フランスやイタリアでブラームスの話をすると、妙に同情的に肩をすぼめるのが常でした。今日では、事情はすっかり変わっています。とすると、根本問題はこういうことになります。これをごまかしてはなりませんし、また避けて通ることもできません。すなわち、このわれわれの時代の個々ばらばらの一握りの人たちしか自分たちの音楽と呼びえず、現代に生きている人間からはまったく隔絶していて、それに近づくべくどんなに努力をしても、結局40年間耳になじまない音楽、そういう音楽というものがいったい考えられるでしょうか。われわれの時代の音楽として、おのれの存在を主張しうるでしょうか。とにかく、これらの重大問題に、いま私は解答を与えようと思いません。そんなことはあまりにも不遜で、無鉄砲な話です。こうした問題には、とうてい音楽だけに限定されない無限に多くの事柄が絡み合っているのですから。音楽は人間の表現以外のなにものでもありません。ですから、そもそもの問いは次のようでなければなりません。音楽によって自分を語ろうという情熱と能力を、未来の人間もまだ持っているだろうか、と。しかし、さしあたってたいせつなのは、状況をありのままに認識すること、虚心坦懐な態度をもって、われわれの音楽生活がおかれている危機的状況を正視して、その危機を危機として受け取ることだと思います。
(1953年5月6日付、フレート・ゴルトベック宛)
~同上書P277-278
保守フルトヴェングラーの真面目。
諸行無常であること。
そして、世界に不要なものは存在しないという事実。
危機的状況という判断はあくまで人為によるものだ。
人智を超えた天の按配が何処にもあろう。
まして最高芸術たる音楽ならばその要素は大いにある。
フルトヴェングラー最後の年のヨハネス・ブラームス。
1949年の、あまりに劇的かつ浪漫的解釈の演奏とはうって変わり、何と静謐なブラームスであろうか。
もちろん外面的要素という点ではブラームスの激しい側面は表現されている。
しかし、指揮者自身の心中が静かなのだ。
まるで聴衆を前にしない、スタジオでのセッションであるかのように音楽は中庸を保つ。
いずれもティタニア・パラストでのライヴ録音。
大病を経て、いよいよ最晩年の、老境に到達したフルトヴェングラーの心情吐露などという表現は相応しくなかろう。日々、コンサート活動や作曲に明け暮れ、少なくともこの時点で彼には希望があった。
コンサートにおいでくださったうえ、お葉書どうもありがとうございました。ほんの短い時間でしたが、会場で握手を交わしえたことは、私にとってたいそう嬉しいことでした。
ロンドンのオーケストラはやはり立派なもので、いっしょに仕事をしてもけっこう愉しく、好感がもてるというものです。もちろん、来年はベルリン・フィルといっしょにアメリカへも行かなくてはなりません。
(1954年4月22日付、アンナ・ガイスマル宛)
~同上書P297
そしてまた、同年6月のヘッセ宛の手紙には次のようにある。
お手紙をちょうだいし、このうえない幸せと存じております。私どものコンサートにご来駕いただけるかも知れないと考えて、演奏旅行でふだんしばしば演奏しておりましたブラームスの名をプログラムからはずしましたことは、当然の措置でございます。
(1954年6月5日付、ヘルマン・ヘッセ宛)
~同上書P298
ブラームス嫌いだったヘッセに忖度してフルトヴェングラーはプログラムをベートーヴェンにわざわざ変更したのである。
こんなブラームスを聴けるなら、好まなくとも聴けば良いのにと僕は思う。
フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルのシューベルト「未完成」交響曲(1952.2.10Live)を聴いて思ふ
定力(じょうりき)
フルトヴェングラー時代の響きが残されたベルリン・フィルとの伝説的な交響曲全集を録音したのはアンドレ・クリュイタンスだった。確かに、どちらかというと暗めの音響を特長とするオーケストラが不思議に明朗さを発揮する。もちろんそれ ... ]]>

フルトヴェングラー時代の響きが残されたベルリン・フィルとの伝説的な交響曲全集を録音したのはアンドレ・クリュイタンスだった。確かに、どちらかというと暗めの音響を特長とするオーケストラが不思議に明朗さを発揮する。もちろんそれは指揮者の体質によるものだろうと思う。
ディラン・トマスは宇宙の涯てを見てきたのだろうか?
前時代の、時代遅れの宇宙の涯てを。
初めに、燃えさかる火があって
火花で気象を燃え上がらせた、
花のようにどんよりした、三つ眼で赤い眼の火花で。
生命はうねる海から浮かんでほとばしり、
根本ではち切れ、土と岩から
草を萌えさせる秘密の油を吸い上げた。
初めに言葉があった、
光の強固な基盤から
虚空のすべての文字を抽象した言葉が—
すると呼吸のぼやけた基盤から
言葉が湧き溢れ、誕生と死の
最初の記号を心に伝えた。
~松田幸雄訳「ディラン・トマス全詩集」(青土社)P60
「初めに」と題する詩は、まるでそれまでのすべてを知覚したかのような詩だ。
そしてまた、過去の栄光のようなクリュイタンスのベートーヴェンは、それでも現代に十分通用するベートーヴェンだ。
ベートーヴェン:
・交響曲第4番変ロ長調作品60
・「コリオラン」序曲作品62
アンドレ・クリュイタンス指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1959.4.4,8&9録音)
果してこのフルートはオーレル・ニコレによるものなのかどうなのか(ニコレは1959年までベルリン・フィルに在籍した)。
第4番第1楽章主部アレグロ・モルトにおける重要なフルート独奏パッセージの美しさ。背景に、クリュイタンスのもつフランス的エスプリ(英語のスピリットともドイツ語のガイストとも違ったニュアンスだ)を感じさせる音楽の躍動。心からの感動を喚起する、宇宙的拡がりをもつベートーヴェン。何と大らかで、何と余裕のある音楽なのだろう。
「コリオラン」序曲の激しさがまたフルトヴェングラーのそれを髣髴とさせる。
クリュイタンスは当時のベルリン・フィルの音を、各奏者の方法を大切にした。
あくまでそこに自身の思念を刷り込んだだけだ。
すべてすべてすべてのものを、乾いた世界は梃子で動かす、
氷の舞台、質実な大海原を、
油から、重い熔岩から、すべてのものを。
春の都市、支配された花は、回る、
火の車輪のうえで灰の
町を回す地球のなかで。
「すべてすべてすべてのものを」
~同上書P76
トマスは世界の不自然さを嘆く。
本来すべては遊戯だ。
それを佛は「遊戯(ゆげ)」という。
人為的な「無理」があってはならない。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲に関しては、バックハウス独奏によるシュミット=イッセルシュテットとの協演盤を昔から愛聴していた。深層にまで刷り込まれている演奏は、いつもの如くいつ聴いても新鮮で、安心感のあるものだ。 そのせい ... ]]>

ベートーヴェンのピアノ協奏曲に関しては、バックハウス独奏によるシュミット=イッセルシュテットとの協演盤を昔から愛聴していた。深層にまで刷り込まれている演奏は、いつもの如くいつ聴いても新鮮で、安心感のあるものだ。
バックハウス&シュミット=イッセルシュテットのベートーヴェン協奏曲第4番&第5番を聴いて思ふ そのせいもあるのだと思う、僕は長らくクレメンス・クラウスとの旧録音を無視してきた。しかし、モノラル録音といえど、50年代のバックハウスの演奏は、一層活気に溢れ、ベートーヴェン弾きとしての真価をより発揮しているように思える。もっと早く、真面目に聴き込んでいれば良かったと後悔するほどに。
バックハウスには、その生き方と演奏態度の全体を通じて、もって全幅の信頼をおくべき剛直廉潔の士といった趣きがあった。本にもそう書いてあり、私も彼の演奏をきいて、そう信じるのだが、そうだからといって、これをドイツ的な美徳のあらわれと簡単にきめこんだり、バックハウスにドイツの芸術家というレッテルをはるのも、考えものなのである。事実はそれに近いのだが、それは初めからそうだったのではなくて、バックハウスのような人の、ほとんど70年にもおよぶ長い経歴の現存が「ドイツの音楽家」というものに、こういうイメージを与えることになったのである。
「バックハウスの訃報をきいて」(昭和44年7月19日)
~「吉田秀和全集12 カイエ・ド・クリティクI」(白水社)P169
その月5日に亡くなったバックハウスの訃報を受けて書かれた吉田さんのエッセイの、バックハウス評の確かさ。半世紀以上前の筆致が、巨匠のベートーヴェンの素晴らしさを、凄さをあらためて思い起させてくれる。
バックハウスのベートーヴェン演奏のスタイルは、要するに、「作品がすぐれていればいるほど、演奏もますますりっぱに真価を発揮する」ような具合になっているのである。
彼の演奏には、総じて、何かの部分の強調、誇張ということが、ほとんどまったくない。かえってそれぞれの作品のもっているものをそれぞれ正しく発揮さすことに成功するのは、そのためだ、といってもよいかもしれない。
~「吉田秀和全集6 ピアニストについて」(白水社)P48
なるほど、確かにその通りだと僕は思った。いかにバックハウスが正統的な演奏哲学を持った人であったか、そしていい加減な表現ができなかった人であるかがよくわかる。この論を吉田さんは次のように締める。
私は、バックハウスの演奏は、要するに曲がよければよいほど演奏もよくなるといったふうのものだ、と書いた。だから、彼の演奏をきていて好きになった曲があるとすれば、それはまず名曲にまちがいないと考えてよいのである。ある種の名人は、たいして内容のない曲でもすばらしくひいてきかせることができるけれど、バックハウスにはそれができない。
~同上書P53
実にわかりやすい。
実際に、巨匠の弾くベートーヴェンはいずれも名演奏であるゆえ、それらはすべて傑作だといえる。楽聖ベートーヴェンこそ本物なのだ。
いずれも後のシュミット=イッセルシュテット盤を凌駕する。
生命力と活気と、それこそバックハウスならでの自然体のベートーヴェン。
第4番ト長調は、第1楽章アレグロ・モデラート冒頭の独奏ピアノから聴き手を惹きつける純粋な(?)、ベートーヴェンへの並々ならぬ愛情を感じさせる渾身の優しい演奏。そして、続くクラウスの棒による管弦楽提示もウィーン・フィルの美感を活かした、極めて自然体の、しかし熱い音楽を聴かせてくれる。
第5番変ホ長調「皇帝」ももちろん(無駄を削ぎ落した)名演奏。
こちらについてはまた別の機会に書こう。
ミケランジェリの、コード・ガーベンとのモーツァルト共演には興味深いエピソードがたくさんある。実際、彼らのリハーサルのあるシーンを覗いてみると、言葉通りの発見の他に、様々な音楽的発見がある。ミケランジェリはあくまでミケラン ... ]]>

ミケランジェリの、コード・ガーベンとのモーツァルト共演には興味深いエピソードがたくさんある。実際、彼らのリハーサルのあるシーンを覗いてみると、言葉通りの発見の他に、様々な音楽的発見がある。ミケランジェリはあくまでミケランジェリであり、目の前に対峙するのがモーツァルトであろうと何であろうと関係ない孤高の存在なのだ。
リハーサル中のABMを知る者、彼の感動が表出し、大きな声で一緒に歌い、他の人たちが「間違ったことをする」ときの怒りなどを体験した者は、なぜ彼がこれらの協奏曲を特に心に留めたかを理解した。その際、いわゆる真性の演奏に関する考察が前面に出るわけではなかった。今日、モーツァルトはどのように演奏「される」べきなのかという問題は、ABMには関係なかった。これらの作品に対する彼の愛情(「夢中になって弾くか、そうでなければまったく弾けない作品だ」)と、正しい音楽言語を目指す努力が、部分的に不慣れな結果につながるのであった。
~コード・ガーベン著/蔵原順子訳「ミケランジェリ ある天才との綱渡り」(アルファベータ)P179
ミケランジェリとガーベンとの2台のピアノによるリハーサルの様子が残されているが、何を話しているのか定かでないにせよ、いちいち音楽を止めながら大事な何かついて語るであろう貴重な録音の存在にそもそも僕は感動するのだ。
我々の共通のモーツァルト体験は、《前奏曲集》の録音が終了してから始まった。全員が帰ろうとする最中、彼はピアノをその場に置いておくように命じた。こうして、技術チームも待機し、あらゆる突発的な出来事に備えた。
休憩の後、彼は新鮮な気分で、2台の楽器のうち左側のピアノの前に座ると、リラックスして、ほとんど陽気にニ短調協奏曲を弾き始めた。数時間前にテレビ制作の完全なキャンセルの原因、あるいは言い訳になっていた左目のまぶたの小さな異変は、いつのまにか何でもなくなっていた。
~同上書P180-181
何でもない些細な出来事の中にある奇蹟。
当然ミケランジェリが主導権を握るリハーサルでの、巨匠の大きな声で歌う様子は確かに陽気だ。
モーツァルト:
・ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466(2台ピアノでのリハーサル)
アルトゥーロ・ベネディッティ・ミケランジェリ(ピアノ)
コード・ガーベン(ピアノ)(1989録音)
手探りで、丁寧に音楽を紡ぎ上げていく、そんなスタイルのリハーサルに、伴奏を任せられた指揮者の大変さを思う。20分近くに及ぶ2台のピアノでのリハーサル風景から、ガーベンの伴奏パートはあくまで伴奏に徹していることがわかる。
(もちろんピアニストを試すような冒険はしていない)
(それもこれもピアニストを刺激せず、真っ当なレコードとして世に送り出すためだ)
リヒテルの弾く俗称「調子の良い鍛冶屋」が可憐で本当に心地良く、美しい。 バッハの大作「平均律クラヴィーア曲集」に対応する(?)ヘンデルの「クラヴィーア組曲集」。 一見単純な響きをつかって、これほど雄大な音楽をかいた人はほ ... ]]>

リヒテルの弾く俗称「調子の良い鍛冶屋」が可憐で本当に心地良く、美しい。
バッハの大作「平均律クラヴィーア曲集」に対応する(?)ヘンデルの「クラヴィーア組曲集」。
一見単純な響きをつかって、これほど雄大な音楽をかいた人はほかにない。しかも、彼はそのなかで、実にたくさんの情景と人物をかきわけている。「バッハが宗教的で器楽曲にすぐれていたのに対し、ヘンデルは劇的で声楽曲にすぐれていた」というのが、今日の定説であろうが、しかし、私たちは、何もこの二人を、そういうふうに対照的に考える必要はあるまい。ただ、バッハの音楽を、それ以前、ないしは同時代の音楽にくらべてみると、まず、主題から発する展開・持続の密度とその持久力という点で、彼がとびぬけてすぐれており、求心力表現力の強い音楽となっていることに、驚嘆するほかないのだが、ヘンデルでは、それがもっと遠心的で、多彩で強靭な対照と、幅のひろい旋律の流れで、曲を構成していっている点が、目立つ。
~「吉田秀和全集7 名曲300選」(白水社)P118
定説というのは怪しいものだ。しかもこのエッセイは60年以上前のものだからなおさら。
バッハもヘンデルも両者とも器楽曲にも声楽曲にも優れており、いずれも宗教的でもあり劇的でもある。内に向かうバッハに対して、外に広がるヘンデルというのは、確かに彼らの生き様そのものとフラクタルであり、納得のゆく論だ。
リヒテルのバッハ平均律クラヴィーア曲集第1巻(1973.8Live)を聴いて思ふ
リヒテルのバッハ「平均律クラヴィーア曲集第1巻」(1970録音)を聴いて思ふ リヒテルの名盤「平均律クラヴィーア曲集」は僕の座右の盤。
一方、リヒテルがガヴリーロフと交互に弾き合ったヘンデルの「組曲集」は、僕が大人になってから発見した名演奏。
沈潜するヘンデル、あるいは弾けるヘンデル。
楽想は大いに揺れ、変化する。
リヒテルの演奏はもちろん素晴らしい。しかし、当時23歳のガヴリーロフの弾く、例えば第10番ニ短調HWV436第3曲アリアの、一つ一つの音を丁寧に弾き、訥々とした孤独感を引き出そうとする枯れた味わいと、続く第4曲ジーグの喜びに、思わず快哉を叫ぶ。
そして、それに対応せんとするリヒテルの弾く第3番ニ短調は本組曲集の白眉ではなかろうかと思うほど音楽的で美しい。
ソ連には、バッハをひく上で、よほどすぐれた伝統があるに違いない。私たちの前にはスヴャトスラフ・リヒテルのバッハの『平均律クラヴィーア曲集』という偉大な前例があるのだし、ニコラーエワのひくのはそれにまさるとも劣らぬすぐれたバッハだと、多くの人がいう。たしかに彼女のは、非の打ちどころのないような、しっかりしたバッハに違いないが、私個人の好みからいうと、ほんの少しばかり教育的というか、模範生的な優秀さの味が残る。しかも、それは彼女の演奏が干からびて、あまりにも規則通りだというのではなくて、むしろ、根本には、濃厚なロマンティシズムの流れが感じられるのと、切り離せないものなのだ。
ガヴリーロフのバッハにも、ロマンティシズムはある。いや、かなり濃厚にあるといってもいい位だ。だが、彼のは模範演奏的でも、甘くもない。
~「吉田秀和全集20 音楽の時間II」(白水社)P42-43
このバッハ評は、そのままリヒテルとガヴリーロフが分け合うヘンデル評にもそのまま当てはまる。1988年当時、吉田さんは、このピアニストを評して最後に次のように付け加えていた。
それにしても、ガヴリーロフというピアニストは興味ある存在である。グレン・グールドをナマできく希望が全く消滅してしまった現在、まるで違う人のくせに、どこかで、グールドとの関連で、私を慰める働きをする何ものかが、彼の演奏にはある。
~同上書P44
それはたぶん期待し過ぎだったのだろうと思うが。
グールドのバッハ イギリス組曲全集(1971-76録音)ほかを聴いて思ふ
グレン・グールドのバッハ「フランス組曲」を聴いて思ふ
フルトヴェングラーはなぜ戦前のうちに亡命しなかったのか? 1971年5月3日に東京の日本青年館で行われた、近衛秀麿の日本フルトヴェングラー協会名誉会長就任記念講演の記録には、上記の謎を解明する、ヒントとなる言葉があったと ... ]]>

フルトヴェングラーはなぜ戦前のうちに亡命しなかったのか?
1971年5月3日に東京の日本青年館で行われた、近衛秀麿の日本フルトヴェングラー協会名誉会長就任記念講演の記録には、上記の謎を解明する、ヒントとなる言葉があったという。
秘書のベルタ・ガイスマールから近衛に、ストコフスキーと連絡を取り、フルトヴェングラーをフィラデルフィアに連れて行ってもらえないかという依頼があったというのである(そのためにフルトヴェングラーは自宅にわざわざ近衛を招いたのである)。
秀麿は年が明けた2日、約束どおりポツダムにあるフルトヴェングラーの自宅を訪ねた。そこで、フルトヴェングラーは自ら「アメリカへ渡る手引きをしてほしい」と秀麿に要請するのだった。秀麿がなぜ自分に、そのような危ない依頼をするのかと問うと、フルトヴェングラーは秀麿がレオニード・クロイツァーを日本へ亡命させたことを承知しており、秀麿であれば極秘裡に事を進めてもらえるだろうと考えた上での結論だという。さらに、フルトヴェングラーはアメリカへ出国を望む理由として、音楽を政治に利用し、ユダヤ人というだけで社会から排斥するナチの横暴と、ゲッベルスとの確執を挙げた。
~菅野冬樹著「戦火のマエストロ近衞秀麿」(NHK出版)P178
これを読んだ当時、僕はとても驚いた。
フルトヴェングラーはもともとナチス・ドイツに何としても留まろうという意志はなかったことになるからだ。
近衛秀麿はフルトヴェングラーの希望通り動いた。そして、ストコフスキーの快諾を得たのである。
しかしながら・・・、
ストコフスキーは首席指揮者になったばかりのオーマンディにも承認を取る必要があったために、秀麿を同席させて話をした。秀麿はフルトヴェングラーが、これまで多くのユダヤ人を擁護してきたことを告げた上で、フィラデルフィアに迎えてほしいと話すと、オーマンディからは予想外の言葉が返された。
「ナチに加担した指揮者を、アメリカに迎えることはできない」
秀麿は講演会の場で、「ほとんどできかかった話が、オーマンディの猛反発をくらって壊れた」と述べている。
~同上書P179
フルトヴェングラーは落胆し、結果、ドイツに留まることを余儀なくされたのだが、こういう話を聞くにつけ、人間の器の小ささ、あるいは確執、因縁、そういったものの醜さをあらためて思い知らされ、悲しくなる。いずれも、音楽の創造行為においてはまったく無関係の事柄だからだ。人間の思考とは、思い込みとは、人間の人生をそれだけで変えてしまう恐ろしいものだと痛感する。
しかし、一方で、であったがゆえに戦中、戦後の欧州での、フルトヴェングラーの名録音たちが残されたという事実が残るのである。何がどう転んでも、何がどのように動いても名指揮者としてのフルトヴェングラーの価値は変わらないということだ。
近衛秀麿が実演を聴いて「天井が抜けるかと思った」と述懐するベートーヴェンの第7交響曲終楽章の(芸術的)爆音に卒倒する。
フルトヴェングラー&ウィーン・フィルのベートーヴェン交響曲第7番(1950録音)を聴いて思ふ 厳かな雰囲気を醸すフルトヴェングラーの演奏は、どんな小品を振っても、魔性の大作に変貌するという証のような「皇帝円舞曲」と「オベロン」序曲。スタジオでのセッションであるがゆえの端正さが余計に聴く者の魂をくすぐるようだ。
近衞秀麿指揮読響のベートーヴェン「田園」ほか(1968.3録音)を聴いて思ふ
近衞秀麿指揮札響のベートーヴェン交響曲第1番&第7番(1963.9.6Live)を聴いて思ふ
半世紀以上前の、吉田秀和さんによる「バレンボイムとズッカーマンの演奏」評が面白い。吉田さんは、まだまだピアニストとしての活動の方が重きをなしていた若き日のバレンボイムらの演奏から感じた印象を率直に書かれているが、これがま ... ]]>

半世紀以上前の、吉田秀和さんによる「バレンボイムとズッカーマンの演奏」評が面白い。
吉田さんは、まだまだピアニストとしての活動の方が重きをなしていた若き日のバレンボイムらの演奏から感じた印象を率直に書かれているが、これがまた言い得て妙であり、年齢を相応に重ねた後の、指揮者としてのバレンボイムにその妙が引き継がれている面、あるいはそうでない面がはっきり出ていて興味深いのである。
それは、昭和48年4月3日の東京郵便貯金ホールでのオール・ベートーヴェン・プロのリサイタルだった。
この二人は「ユダヤ的な」粘り強い徹底性で、音楽にもう一度「たっぷりしたテンポで心ゆくまで歌うこと」をとりもどそうとしている。ズッカーマンの恐ろしく大きくて目立つヴィブラート、たっぷりした弓の使い方、そこから生まれてくる、官能的で色彩的な音楽。根本的にロマンティックなバレンボイムの優しい愛撫と逞しいダイナミズムとの間を自在に往復しながら、ほとんどいつもクリアなタッチを失わず、ほとんど絶対にフレーズの輪郭を崩すことのないピアノ。この二人は、いわば、「散文詩」的なスタイルで音楽を歌い、かつ、物語るのだが、その途中では、これまで私たちのききなれていたのとは、ずいぶん離れた演奏になる場合が出てくる。いや、私には、彼らが、これまで大家たちの踏みならしてきた道からどれだけ離れても、「ベートーヴェン」を見失わずにすむか、知りたがっているように思える時さえある。そうして、事実、道草をくってみると、これまで気がつかなかった「美しさ」が、あの「きびしく、いかめしい」ベートーヴェンのいろいろなところにみつかるのだ。
~「吉田秀和全集9 音楽展望」(白水社)P314-315
当時のバレンボイムやズッカーマンの姿勢は、演奏家として「守破離」の「破」の位置に差し掛かったところだったのだろうと想像するが、実演に触れていない僕には残念ながら何も語る資格がない。それでも吉田さんのこの文章から考えられるのは、世紀末に、満を持して指揮者として録音した「ベートーヴェン交響曲全集」が、ついにバレンボイムらしさを獲得した、すなわちフルトヴェングラーの亡霊から逃れ、やっと「離れる」ことのできた証しとしてのものではなかったのかということだ。(四半世紀を経ての脱却!!)
リリース当時の評論にはフルトヴェングラーの単なる模倣という酷評もまま見られたが、今の耳で素直に接してみると、何と立派な、いかにもバレンボイムらしい、「根本的にロマンティックなバレンボイムの優しい愛撫と逞しいダイナミズムとの間を自在に往復しながら、ほとんどいつもクリアなタッチを失わず、ほとんど絶対にフレーズの輪郭を崩すことのないピアノ」を髣髴とさせる音楽作りであることが理解できる。
・ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
ダニエル・バレンボイム指揮シュターツカペレ・ベルリン(1999.5-12録音)
ロマンティックでありながら、決して粘り過ぎない潔さ。
それこそフレーズの輪郭は常に明瞭で、崩すことのない楷書体の演奏に(ティンパニの鳴動!)、あらためて僕は感激したのである。
全編を通じ、大宇宙の、大自然の畏怖と同時にその恩恵に感謝するベートーヴェンの心を、オーケストラと見事になって表現する指揮者の真摯な姿勢に嬉しくなるほどだ。
中でも、後半3つの楽章が素晴らしい。
ベートーヴェンが、自身の心情を投影させた神なる音楽を、バレンボイムは同じく心を通じさせて音化する。
聴いていて涙が出てくる。
僕たちは、大自然にもっと感謝をせねばならない。
ブルックナーのシンフォニー楽章の再現部においては、自由奔放にして妥当性に欠ける造形が、ある種の人々によって模範的なものとされてはいるものの、その欠点を暴露する。ベートーヴェン、いなブラームスにもまだ見られた繰り返しが、ブ ... ]]>

ブルックナーのシンフォニー楽章の再現部においては、自由奔放にして妥当性に欠ける造形が、ある種の人々によって模範的なものとされてはいるものの、その欠点を暴露する。ベートーヴェン、いなブラームスにもまだ見られた繰り返しが、ブルックナーにはもはや不可能である。もしそうだとすれば、彼はシンフォニー楽章の内部において何をすべきなのであろうか。とりわけ最初のいくつかの楽章がしばしば再現部に見せる空白は、こうした状況から生じたものである(第4、および第7交響曲)。
(1946)
~ヴィルヘルム・フルトヴェングラー/芦津丈夫訳「音楽ノート」(白水社)P48-49
おそらく訳出の問題だろうが、今一つフルトヴェングラーの真意を掴みにくい文章だ。
フルトヴェングラーは再現部を「リピート」並みに正確に模倣せよというのだろうか。
僕はフルトヴェングラーのブルックナーについても誤解があった。
振り返ってみると、最初に聴いたのはキング・レコードから出ていたロンドン・レーベルのアナログ・レコードによる「ロマンティック」だった。それが改訂版によるものだという認識はほぼなく、音楽の素晴らしさに圧倒され、幾度も繰り返して聴いていたことを思い出す。
フルトヴェングラーのブルックナー交響曲第4番(1951.10.29Live)を聴いて思ふ フルトヴェングラー自身が晩年に朝比奈隆に語ったところによると「ブルックナーの第9番を演るなら原典版でやりなさい」という忠告があったという有名なエピソード。慌てた朝比奈が、それまで存在すら知らなかった原典版のスコアを取り寄せたところ、似ても似つかぬものだったので、それをもとに急ぎパート譜を起こすよう命じたという。
もちろん宇野功芳さんの評論の影響も大いにあるのだが、なんでもかんでも原典がベストであり、またブルックナーに相応しい造形があることを鵜呑みにしてしまった僕は、以来、先入観からフルトヴェングラーのブルックナーを遠ざけるようになっていった。しかしながら、先のフルトヴェングラーの言にもあるように、そんな彼でさえ造形について云々しているところを鑑みると、音楽の造り方において絶対的基本というものは存在しないのである。
結局、聴き手が100%満足する演奏など存在しないということだ。
ならば、批評精神を横において、ただただ音楽を堪能することしかない。
音楽を愛するものに求められるのは、敬意をもってのひたすらな傾聴なのだと思う。
エトヴィン・フィッシャーの言葉を拝借する。
宇宙におけるいっさいの現象は変化であり、永遠の生成と消滅とである。それでも、大自然はこの久遠の輪廻の輪からのがれようとするものであるらしく、つねに新たな世代と、より高度に形成された新しい様式とを創造することにより、死を克服しようと努めてやまない。しかし、古人が嘆じたように、人間も「やがてうつろい消えてゆく。眺めくらせし花々のはかなき美にも似たるかな」。しかしそのとき、魂は、はるかなる失われた故郷へのかすかな追憶を、なおもいだき続けているかのごとく、精神が起ちあがり、生死の彼方になにものかを求めるのである。そして、この永遠への憧憬のなかで、精神は宗教的、精神的、芸術的諸価値を創造し、それらの光を彼の同時代および後世に放射する。精神はかくして、その束の間の地上の生存を超えて生き続けるのである。
「芸術と人生」
~フィッシャー/佐野利勝訳「音楽を愛する友へ」(新潮文庫)P14-15
音楽家はみな誰しも、フィッシャーのいう観点から生成と消滅を繰り返す作品を創造し、また再生するのである。音楽は、まさにこの大自然の法に則った、陰陽二元世界における最高の芸術形態なのだ。
・ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」(フェルディナント・レーヴェ改訂版)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1951.10.29Live)
三たび「ロマンティック」。ミュンヘンでの実況録音は、その1週間前のシュトゥットガルトのものに比較して、一層熱が入り、興に乗るフルトヴェングラーの指揮姿を髣髴とさせてくれる。
この、動きのあるブルックナーがまた素晴らしいと思えるようになった僕は偉い(笑)。
フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルのブルックナー「ロマンティック」(1951.10.22Live)を聴いて思ふ
僕は随分長い間、フルトヴェングラーのモーツァルトを誤解していた。モーツァルトほどの天才の作品となると、実際のところはどんな解釈をも受け容れてしまう器の大きさがある。一昔前の、浪漫的解釈が時代錯誤だというのも違うし、重過ぎ ... ]]>

僕は随分長い間、フルトヴェングラーのモーツァルトを誤解していた。
モーツァルトほどの天才の作品となると、実際のところはどんな解釈をも受け容れてしまう器の大きさがある。一昔前の、浪漫的解釈が時代錯誤だというのも違うし、重過ぎるというのも違う。一つの音楽として完全であり、聴後の満足感で測ればこれほど優れた演奏はないと言い切れる。
音楽のアテネ! ヴェニスに見られるイタリア風の音楽祭でも、ルツェルンに見られる媒介や試みでもなく、またエディンバラに見られるイギリス的で、国際的な大がかりな見せ物のたぐいでもない。ここにおいてはベートーヴェンとモーツァルトが、『フィデーリオ』と『魔笛』が、ただその完璧な上演を期待されるだけではなく、私たちの生命の真髄として把握される。
「ザルツブルク音楽祭」(1949)
~ヴィルヘルム・フルトヴェングラー/芦津丈夫訳「音楽ノート」(白水社)P154
「フィデリオ」は人類救済の物語であり、また「魔笛」は生死を超えた、不変の真理獲得(すなわち悟り)のドラマであることを考えると、フルトヴェングラーは(おそらく無意識に)ザルツブルク音楽祭の重要性を、モーツァルトやベートーヴェンの音楽が世界平和に貢献するだろうことを理解していたのだろうと思う。
フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルのベートーヴェン「フィデリオ」(1948.8.3Live)を聴いて思ふ
フルトヴェングラーの「魔笛」(1949) フルトヴェングラーの「フィデリオ」は確かに永遠のドラマだ。
そして、ザルツブルク音楽祭での「魔笛」も実に濃厚で、人間臭いメルヘンだ。
演奏の人間臭さがおそらく誤解を生んでいたのだろうと思う。しかし、個性とは人間臭さそのものなのだからそれは無視できない。むしろ音楽の本質をどれだけ追究できるかが鍵だ。
エピクロスは、死とはわれわれにとって何でもないといっている。すべての善と悪とは感覚の問題である。この死はわれわれにとって何でもないという真実を正しく知ると、人生における死も、楽しみの源泉となる。不確実な時間をこれ以上増やさず、不死への憧れがとり除かれる。そこで、諸悪の中で最も恐ろしいものである死は、何でもなくなるのである。なぜなら、生きている間は死は存在せず、死が存在すると、われわれは生きていないからである。命を失うのを恐れるのは無駄である。命を失う時には、それが悪であるかどうかを判断する命がすでにないのだから。
~エドワード・J・デント/石井宏・春日秀道訳「モーツァルトのオペラ」(草思社)P272
肉体という視点から見ると生は永遠ではないが、命そのものは不死であることを考えると本来死を怖れることはひとつもない。「魔笛」の物語は、250年も前にそのことを人類に示そうとした。生きているうちに僕たちが行うべきは利他行である。
どの瞬間も緊張感に満ちる唯一無二の「魔笛」。
そういえば以前、「魔笛」第1幕のフィナーレと「ジュピター」交響曲第1楽章の終結が(スコア上はまったく異なるのに)よく似た音楽に聴こえるというコメントをいただいていた。そのときには気づかなかったのだが、このフルトヴェングラーの演奏を聴くと、確かに「ジュピター」第1楽章の終結とは明らかに異なることがわかる。
メトロポリタンの「魔笛」を観る それほどにフルトヴェングラーは楽譜に書かれた音楽そのものを大事にしたのである(そこにはもちろん巨匠ならではの解釈はあるだろう)。
「魔笛」はどの瞬間も素晴らしい演奏が繰り広げられるが、幕が進行するにつれてますます音楽は神々しくなっていく。
第2幕第10番ザラストロのアリア「おー、イシスとオシリスよ」の深み(グラインドルの表現力!)。
あるいは、第2幕第14番夜の女王の堂に入った(明るめの)アリアの凄味!!
そして、CDでいうところの3枚目は第21番フィナーレが収録されているが、このシーンこそフルトヴェングラーの真骨頂。
おお、永遠の夜よ!