奇人変人グレン・グールドは、ヨーゼフ・クリップスを絶賛する。
1977年8月24日(水)に放送されたCBCのラジオ番組でのことだ。
故ヨーゼフ・クリップス—私が畏敬の念をもって思い出すこの共演者、友人は、私に言わせれば、今日最も過小評価されている指揮者です。特に彼のモーツァルト解釈は、まったく魔法のようです。(交響曲第35番ニ長調K.385「ハフナー」全曲を聴かせる)こうした音楽を演奏するには、つまり、こうした完全な均衡、ものがあるべき場所にきちんと収まっている感覚を伝える音楽を演奏するには、たいへんな安心感を抱いていなくてはなりません。この演奏から誰もが受けるのは、バランスに関するあらゆる判断、強弱に関するあらゆる配慮が必然的で、このテンポでしか聴くことしか考えられないという印象です。私は取りたててモーツァルトの音楽が好きな人間ではありません(この冒瀆的な発言の理由は別の話ではあります)。しかしクリップスの指揮で聴くと、あらゆる不満があっさりと消え去ってしまいます。
~グレン・グールド、ジョン・P.L.ロバーツ/宮澤淳一訳「グレン・グールド発言集」(みすず書房)P49-50
グールドの言う「完全な均衡」とは何か?
それは「強烈な個性」だと彼は説明していることからいわゆる「我(エゴ)」だと解釈できる。そう、これぞ無為自然のモーツァルトだというのである。
(しかしながら、人一倍強烈な個性の持ち主であるグールドが自分のことを棚に上げてそんなことを言うのだから、吃驚仰天だ。本人には自覚がなかったのだろうか)
かたや、彼の解釈はロマン派的な自己表出の試みでもありません。フルトヴェングラーやメンゲルベルクやストコフスキーに代表される伝統—すなわち、強烈な個性や、それこそ自己耽溺までもが込められる伝統—は、クリップスには無縁でした。
~同上書P50
クリップスは戦後最速でウィーンの指揮台に復帰したそうだが、それは彼がナチス協力の嫌疑をかけられなかったかららしい。自身の立ち位置を政治的にも(あいまいな態度でなく)きちんと守り通したというのも、彼の演奏スタイルの正統性を物語る。
グールドが挙げた「ハフナー」交響曲を聴く。
クリップス最晩年のモーツァルトの神々しさをあらためて知る。
「ハフナー」は確かに「完璧な均衡」の中にあるが、「リンツ」についても同様。
特別なことを施さずとも、聴く者の魂までをも鷲掴みにする演奏に、確かにグレン・グールドの慧眼は「正」だったのだろうと思う。
グールドが、クリップスのスタイルを見習って「完璧な均衡」を持つモーツァルトを演奏していたなら世界は大きく塗り替えられていただろうと想像する。(もったいないことだ)
私は演奏会活動を楽しめませんでしたし、そのあいだの人生に懐かしい思い出はほとんどないのですが、そのほかの不毛な演奏会でヨーゼフ・クリップスと共演できたことへの感謝の気持ちが絶えることはありません。そして、レコード会社の契約の関係で、ともに録音を作れなかったことを私は悔やみ続けるでしょう。
~同上書P52
グールドは正直だ。
12年ぶりにあらためてグレン・グールドのモーツァルトを聴いてみた。
基本、彼の解釈に関しての感想は以前と変わらない。
人工的な、その意味では極めて正確無比の(いかにもグレンという)機械仕掛けのようなモーツァルトに感嘆しつつ、リリー・クラウスが語ったように、「あのあり余る才能でもう少し普通に弾けばいいのに」とつくづく思う。しかし、そうなると、この奇天烈な解釈が逆に愛おしくなるだろうから、突然変異的再生ということにして堪能するのがベストなのかもとも思う。
かつてグレン・グールドは、モーツァルトについて次のように語っている。
なるほど、その主人公たる音楽家は、表向きこそは、喜びに満ちた騒音の燦然たる輝きを創り出すのに忙しかった。でも、実はそうやって、やるせないほどの苦痛を懸命に隠そうとしていたのです。彼の音楽には、激しく脈打つ内声部、意表を突いた不気味な転調、気まぐれでシンメトリーを欠いたフレーズなどがあり、苦痛の根源はそこにありました。
~グレン・グールド、ジョン・P.L.ロバーツ/宮澤淳一訳「グレン・グールド発言集」(みすず書房)P343-344
モーツァルトが「当時の音楽構造の要求に合わせて、信じられないほど簡単に素早く作曲できる能力こそがモーツァルトの問題であった」というのがグールドの発言の核心だったと編者はいう(その上、グールドは「交響曲やソナタに含まれる諸形式が水増しや穴埋めを強要したからモーツァルトは持ち前の天才で簡単に旋律を補強できたことがさらに問題だった」というのである。さすがにこの論には無条件には首肯しかねるが)。
ただし、条件付きで、現代の音楽、例えばジャズ音楽やロック音楽のように、自由な即興的スタイルを楽しむという視点から、つまり、モーツァルトをポピュラー音楽的に披露したのがグレン・グールドだったと考えれば、一気に納得いくものに変貌する。要は、物事に正否はないということだ。
この世界の最大の問題が、誰もが「私は正しい」と信じていることだ。
しかしながら、実際のところは誰もが「正しく」、そして誰もが「正しくない」というのがこの世界の真理なのだと僕は思う。
まるでオルゴールを聴くような、心地良いモーツァルト。
(それは、リリー・クラウスの紡ぎ出す世界とは両極のものだ)
ようやくモーツァルトの初期ソナタの意義が見えてきた今の僕にとって、グールドの演奏はとても楽しかった。繰り返しグールドを聴いてきた耳には、どのソナタの恣意的な解釈も一聴グールドの演奏だとわかる代物である。
色気のない、機械的な節まわしに、それでも強靭なテクニックをもって軽快に歌うところあれば、スタッカートを伴った変ちくりんなフレーズもあり、集中して聴こうとすればまったく飽きなく、面白く聴ける。
従来のモーツァルト演奏へのアンチテーゼとしての、他の誰も真似のできない孤高のモーツァルト(意外に本人が耳にしたら快哉を叫ぶかも!)
K.282の終楽章やK.283の第1楽章の無機質な音楽にこそモーツァルトの真髄が刻印されているのでは、と錯覚させられるほどの力量はグレン・グールドその人のもの。
(情感を排した、徹底的にピアノだけを歌わせる魔法といえば魔法)
偶には黙って無心にこの世界に身を委ねるのもよかろう。
ジャワで捕虜として監禁された経験を持つがゆえの明朗さとでもいうのか、リリー・クラウスのモーツァルトは確固とした自信に裏打ちされた力強さがあり、また竹を割ったような潔さがある(グレン・グールドのモーツァルトを批判したのもモーツァルトの真髄を直観していたからだろうと思う)。
釈放されたはずであった。スパイ容疑は晴れたはずであった。だが、自由は戻ってこなかった・・・。
前総督夫人と一緒に拘留所内の反乱を画策したという謀略説は、根拠のないものであることが明らかになった。だが、イギリス外務省の後ろ楯を得て身分証明書を発行してもらい、さらにニュージーランド国籍を取得しようとしていたことが明らかになったことから、枢軸側の人間であるとの「建前」が揺らぐことになった。リリー・クラウスは、ハンガリー人であることを主張しているが、限りなくイギリス人に近い「敵性外国人」であると判断されたのである。
~多胡吉郎「リリー、モーツァルトを弾いて下さい」(河出書房新社)P177-178
不都合なことを隠した結果であるといえばそれまでだが、当時の状況からしてみればそれも致し方のないこと。しかし、そういうギリギリの体験こそがピアニスト、リリー・クラウスの表現をより高度なものに伸し上げることになったのだと僕には思われる。
特に恐怖を伴う「負」の経験は、芸術のレベルを自ずと上げる。
何よりモーツァルト自身が短い生涯に吉凶禍福様々な体験を通じて数多の音楽作品を残している点からみてもそのことは明白だ。
クラウスのモーツァルトはやっぱり特別だ。
クラウスが愛したK.456。
屈託なく、童心で歌い上げる(ウィーン時代のピークたる)モーツァルトの愉悦。
第1楽章アレグロ・ヴィヴァーチェ。ここではモントゥーの指揮も感応し、管弦楽の響きも喜びに弾けて極めて美しい。
続く、ト短調の第2楽章アンダンテ・ウン・ポコ・ソステヌート。
この悲しげな主題と変奏がもつ音楽は、絶頂期のモーツァルトの背面にある孤独と不安を表わすかのようだ。クラウスの演奏も自身の負の体験を髣髴とさせる重みがある(モントゥーはあくまで黒子に徹している)。
終楽章アレグロ・ヴィヴァーチェ。
臨席する父レオポルトが感激で涙を流したとされる協奏曲は、天にも昇るような美しさと弾力に溢れている。クラウスは無心に、しかし力強く歌う。
最近は、書籍に感銘を受けて懐かしい音盤を取り出すことが増えている。
多胡吉郎著「リリー、モーツァルトを弾いて下さい」が滅法面白い。
著者はリリーの実演を聴いたことがないという。
しかし、著者の、大勢の関係者へのインタビューなど、情報収集力は並大抵でなく、おそらく相当の時間をかけての労作は、もちろん想像の部分も多くあるだろうが、細かいところまでがリアリティに溢れ、読み応え十分で、何よりリリー・クラウスの演奏の素晴らしさを教えていただけると同時に、彼女の人間力の確かさが描かれていて、彼女の数多の録音を一つ一つひもとかざるにはいられなくなるほど面白いのだ。
事実は小説よりも奇なり。
中でやっぱり(タイトルが示す)稀代のモーツァルト弾きのモーツァルト。
それも、最も脂の乗っていた1940年代から50年代にかけての録音がとにかく絶品。
戦時中、ジャワに拘留されていたリリーは、毎週のようにラジオ出演し、ミニコンサートを開いていたという。メインとなるプログラムは敵性音楽でない独墺系のものが中心。そこでは時に協奏曲も披露され、聴衆の心を癒した。
オーケストラのタクトにもだいぶ慣れた頃、飯田は思いきってリリーに提案をした。
「マダム・クラウス、何かコンチェルトをやりましょう。私のオーケストラに貴女のピアノで、協奏曲をやらせて下さい」—。
~多胡吉郎「リリー、モーツァルトを弾いて下さい」(河出書房新社)P127
リリーの返事は決まった。
「分かりました。やりましょう。でも、どの曲にするかは、私に選ばせて下さい」
そう言って、リリーはしばらく考えた後、返事を待つ飯田に告げた。
「決めました。モーツァルトのピアノ協奏曲なら、『24番ハ短調』にしましょう」
飯田は即座に承諾した。
「日本の音楽ファンは、貴女がジャワから演奏するのを知って驚くことでしょう。皆、喜ぶに違いありません」—。
~同上書P129
本番に向けてのリハーサルは真剣そのもので、時に激しいほどの要求がリリーから出されたという。
「今の世界を思って! 戦争の悲劇、これは、私たちのための音楽なのよ!」
次第に、飯田にも分かってきた。何故、数あるモーツァルトのピアノ協奏曲のなかから、リリーがこの「ハ短調協奏曲」を選んだのか―。
もっと軽快な、朝の散歩にでもふさわしい長調の曲がいくらでもあるのに、リリーはわざわざこの嵐のような短調の曲を選んだ。明らかに、彼女は今の時代の悲劇にこの曲の悲愴感を重ねている。時代の暗黒を嘆き、その先に希望と光明を願っているのだ。
~同上書P131
果してその本番は最高の出来だった。
オーケストラの面々までもが涙を浮かべながら必死で演奏したハ短調協奏曲。
明日には旅立つ兵士の胸にも、リリーのモーツァルトは永遠に刻まれた。
~同上書P136
戦時中のことだから実況録音などは残っていなかろう。
オーケストラの技量も現代に比べれば随分劣っていただろうと想像する。
しかし、技術的な面を超えて、そのときの協奏曲は見事に人々の心をとらえ、魂に響いたのだろう。それこそ芸術家の鑑たるリリー・クラウスの覚悟、本気の成せる業だった。
・モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491
リリー・クラウス(ピアノ)
ルドルフ・モラルト指揮ウィーン交響楽団(1951録音)
モーツァルト畢生の、飛び切りの名曲の真意は、このクラウス盤でこそわかるのではないかと思った(60年代の新盤ではなく、このモノラル盤の瑞々しい、モーツァルトの愉悦と悲哀が交錯する録音)。
第1楽章アレグロは決して暗澹たるものではない。珍しく重厚なモーツァルトが慟哭するが、それでもそこには十分な慈愛が感じられ、屈指の作品だとあらためて思う。
そして、この第2楽章ラルゲットはモーツァルト弾きクラウスの真骨頂だろう。
リリーは、ピアノを弾くときはトランス状態に入っていると言う。この、音楽しか感じさせない無為自然の音楽こそ多くの人に聴いていただきたいシンの名演奏だと思う。
さらに、終楽章アレグレットの、ベートーヴェンにも比肩する堂々たる希望の舞踏に感銘を受ける。
戦前、一世を風靡したクラウスとゴールドベルクのデュオ。
それでも、二人の共演は続いた。ナチス・ドイツが世界に勢力を拡大するにつれ、演奏を許される場所は狭められていく。リリーにとってもゴールドベルクにとっても、黄金のデュオと呼ばれた二重奏は大切な音楽活動の柱であった。
思えば、1936年の日本公演の頃が、ゴールドベルクとの親密の絶頂期であった。デュオの演奏は続いていても、音楽ばかりでなく、見るもの触れるもの、何もかもの感動を共有したいという熱の激しさは、リリーの心から退いてきていた。
マリア夫人の嫉妬も、疎遠を生む一因であった。あまりに息の合った演奏に、実は二人は結婚しているとの噂が立った。リリーとの公演旅行が続くと、マリア夫人は気が休まらなかった。
~多胡吉郎「リリー、モーツァルトを弾いて下さい」(河出書房新社)P71
感情に左右される人間というものの宿命というのか。
この世界(此岸)に永遠というものはない。
しかし、残された戦前の録音に刻まれる音楽そのものは(ある意味)永遠だ。
特に、日本の聴衆が二人の演奏でモーツァルト(例えばマンハイム旅行中に作曲されたK.296)に開眼したというエピソードが興味深い。
アンコールに、モーツァルトを望む声も多かった。日本人は世界で最もモーツァルトを愛する人たちなのかもしれないと、リリーは思うことさえあった。20世紀のモーツァルトを伝えるのが自分の使命だと信じてきたが、この国で自分の撒いた種の大きさに、我ながら驚くほどであった。
「シモン、モーツァルトが生前、この国のことを知っていたらねえ・・・。必ず、興味を持ったはずよ」
「『魔笛』の主人公タミーノ王子の衣装は、『日本の狩衣のような恰好』となっているらしいよ。まるっきり知らなかったということではなさそうだね」
「『トルコ行進曲』を作った人よ。異文化やオリエント世界に、興味津々なの。子供のような好奇心に溢れた人だったのだもの、当然よね」
~同上書P60
モーツァルトの音楽に共感する二人の共鳴が、演奏をより高貴で美しいものに昇華するようだ。それは、ザルツブルク時代の作品においても、あるいはウィーン時代末期の作品においても同様の愉悦を創出するという点で、モーツァルトの作品が孤高であり、作曲家の意志を離れて音楽として独立していることを示すのである。
個人的には1935年の録音(K.296及びK.379)にシンパシーを覚える。
K.296の第2楽章アンダンテ・ソステヌートでは、ヨハン・クリスティアン・バッハの主題が引用されているという(あまりに美しい)(日本人が好みそうな音楽だ)。
そして、ベートーヴェンが刺激を受けたとされるK.379の深遠な音調こそモーツァルトの真骨頂だろう。ここでクラウスはどちらかというと自身を抑え、ゴールドベルクのヴァイオリンを引き立てるが、主題と変奏たる第2楽章終盤では一気にピアノで歌い、発露するのだ。
旅先での様々な出会い。青年ヴォルフガングの恋。
1777年、バス歌手フリードリン・ヴェーバーの家族との出会い。
その家の娘、15歳のアロイジア(歌手としてすでに相応の名声を誇っていたらしい)にヴォルフガングは熱烈な恋をする。しかし、その恋は成就せず、彼は失意のどん底に陥った。後にヴォルフガングの妻となったコンスタンツェは、アロイジアの妹だ。
旅先のマンハイムからザルツブルクに住む父レオポルト宛手紙。
あくる月曜日にはまた音楽がありました。火曜日も水曜日も。ヴェーバー嬢はみんなで13回歌い、2回ピアノを弾きました。ピアノもけっして下手じゃないのです。ぼくがいちばん感心するのは、楽譜をとてもよく読むということです。考えてもごらん下さい、ぼくのむずかしいソナタをいくつも、ゆっくりですが音符を一つも落とさず弾いたのです。誓って言いますが、ぼくはぼくのソナタを、フォーグラーが弾くよりこの子が弾くのを聴く方が嬉しいです。
(1778年2月4日付)
~柴田治三郎編訳「モーツァルトの手紙(上)」(岩波文庫)P114
父子の対話らしい、本音が綴られる。
旅先の青年は相変わらず多忙だった。
手紙に示されるソナタは、K.279からK.284の6曲だ。
若きモーツァルトの傑作たち。
久しぶりにリリー・クラウスを聴いた。
初めて彼女の真意がわかったような気がした。そして、モーツァルト弾きだといわれる理由がわかった。天衣無縫のモーツァルト(モーツァルト自身が難しいというのは、テクニックではなく、それを音楽的に表現できる「心のあり方」を言っているのだろうと思う)。歌うべきところは明朗に歌い、深沈たる表情で嘆くときは嘆く。まるで目の前にモーツァルトがいて、呼吸をしているかのような錯覚に襲われるくらい(光と翳の描写が見事!)。なんと可憐で情緒に満ちる音楽であることか。見事だ。
初期ソナタがとにかく素晴らしい。
旅を繰り返すモーツァルトが故郷ザルツブルクで書いた「むずかしい」ソナタたちは、演奏によって浅くも深くもなるが、クラウスのそれは見事に老境のモーツァルトと言っていいほど深い。情念もそうだが、それよりも理性の深遠さとでも表現すればいいのかどうか。
(僕も齢60を超えたが、その昔聴いたときには見えなかったところが見えてきたように思う)(うまく表演できないが、演奏の奥の心の機微というか何というか)
ジャワで語ったリリーの言葉、仕種、表情が、断片的に、しかしありありと蘇ってくる。
—音楽には天国か地獄しかありません。・・・歌のない音楽など、音楽ではありません。
—私の信じるモーツァルトは、乗馬用のズボンとブーツを穿いた、男らしい男よ。血も涙もある、生きている人間なの。モーツァルトには、息もつかない感じで馬を走らせる疾駆する精神があるのよ。
—もっと大きな悲劇を下さい。ハムレットやリア王のような悲劇を・・・。今の世界を思って! 戦争の悲劇、これは、私たちのための音楽なのよ!
—私も、この慈善演奏会には物凄い熱気を感じるわ。世界の一流のステージに負けないものを届けたいと思ってきたけど、ここでしかない白熱した雰囲気があるの。初めて体験することよ。
—私は待ちます。冬が過ぎ、春が来るのを待つように、戦争が終わるのを、じっと待ちます。その日が来たら、ピアニスト、リリー・クラウスは、本当の意味で生き返るのです。
—モーツァルトは愛です。モーツァルトは赦しです。そう語ることのできる信念が死の淵に沈んでしまう前に、何とか戦争は終わりました。イイダさん、貴方のお蔭です。
—私はピアニストよ。私はピアニストなのよ・・・。
—貴方も、モーツァルトを忘れないで。必ず、光は訪れます。そう信じて、生きるのです・・・。
~多胡吉郎「リリー、モーツァルトを弾いて下さい」(河出書房新社)P282
1963年1月、27年ぶりの来日公演を聴いた作曲家、飯田信夫の回想である。
モーツァルトは愛であり、また赦しだというリリーの言葉が的を射る。
個人的に最愛の佳品K.282とK.283。何て美しいのだろう。
天才さえあれば、バッハのように深い境地にいても、モーツァルトのように高い境地にいても、ベートーヴェンのように深さと高さをあわせたところにいても、どんな形で現われようと、めったに見損われることはない。— フロレスタン
~シューマン著/吉田秀和訳「音楽と音楽家」(岩波文庫)P49
ふくよかなチェロの音色に癒される。
バッハの音楽宇宙の普遍性。極限まで削ぎ落したなかにある旋律の美しさ、リズムの饗宴、そして和声の三位一体。天才だ。
シュタルケルはバッハの無伴奏組曲を幾度も録音しているが、ウォルター・レッグのプロデュースによるEMI録音の温かな音が実に素晴らしい。
現代では考えられない、それぞれの組曲に多大な時間をかけての録音であるがゆえの整理整頓されたバッハの逸品。気品に満ち、馥郁たる響きは、30代前半という若きシュタルケルのチャレンジ精神を刻印する。
大いなる安息を感じさせるのは、モノラル録音であるがゆえだろうか。
1曲1曲に思いが籠る。
特に優れているのは、祈りの念激しい第2番ニ短調だ(一日で録音を終えている!)。
第1曲前奏曲、第2曲アルマンドはもちろん、第3曲クーラントも、第4曲サラバンドも実に哀感に色塗られ、胸が締め付けられるほどの感動を覚える(大戦末期の3ヶ月間、両親と共に強制収容所暮らしを強いられたという個人的体験の反映かと思われるほど)。
意志は現実化する。
演奏家にとって音楽は意志そのものだろう。
バッハのこの組曲の中に、シュタルケルの人生の喜怒哀楽すべてが感じ取れるのは僕だけか。
そして、第3番ハ長調の第1曲前奏曲にも思わず耳を傾けた。何と美しい音楽であることか。
シッダールタは歩み行く一歩ごとに新しいことを学んだ。世界が変り、彼の心が魅せられていたからである。太陽が森の山々の上にのぼり、はるかなシュロの浜べに沈むのを見た。夜空に星が整然と並んでいるのを、利鎌のような月が青い水の中の小ぶねのように浮かんでいるのを見た。彼は、樹木を、星を、動物を、雲を、にじを、岩を、雑草を、花を、小川を、川を、朝の草むらにきらめく露を、青く薄青く連なるはるかな高い山を見た。小鳥は歌い、ミツバチはうなった。風は田のおもてを銀色に吹いた。そのすべてが、多様多彩で、常に存在していた。常に太陽と月が照っていた。常に川はざわめき、ミツバチはうなっていた。
~ヘルマン・ヘッセ/高橋健二訳「シッダールタ」(新潮文庫)P59-60
バッハの音楽は自然を喚起する。
ただただ無心でそこにあることを呼び覚ます。
ヤーノシュ・シュタルケルの名演奏。
少年の頃、よく聴いていた「乙女の祈り」。
病弱だったため、わずか38歳で亡くなったポーランドの女流テクラ・バダジェフスカの作品。今ではインターネットを駆使して情報を得ることは容易いが、父に初めてレコードを買ってもらった70年代後半は、ただ「乙女の祈り」の作曲家という認識しかなく(調べるにもその術がほとんどなかった)、僕もそれほど作曲家の人となりに興味を持っていたわけではないので、何も知らずにただ音楽そのものだけに親しみ、今日まで来た。
(どうやら彼女の作品は第二次大戦中にほとんどが焼失したため、世界的に詳細を知る術がないようだ)
東芝エンジェルの廉価盤セラフィム・シリーズの1枚を半世紀近い時を経て、聴いた。
てっきりポミエの演奏によるアルバムだと思っていたが、ティエリ・ド・ブリュノフというピアニストと収録曲の半分ずつを受け持っていたようだ。
(同じように昔を思い出し、この音盤について書かれていたブログ記事があった)
ティエリ・ド・ブリュノフというピアニストのことも当時は詳細不明だったそうだが、今では多少情報は入手できる(90歳で今も健在のよう。我が父と同い年だ)。
彼は「象のババール」の作者であるジャン・ド・ブリュノフとセシル・ド・ブリュノフの息子で、11歳からコルトーに、その後はエトヴィン・フィッシャーにも師事し、パリのエコール・ノルマル音楽院で10年以上教鞭を執ったという。
1974年にベネディクト会の修道士になったが、2004年、そのことについて彼は次のような言葉を友人に書き送っている。
神が存在するなら喜んですべてを捧げなければならないと思えたんだ。「すべて」という言葉のなかには音楽もあった。なぜなら、音楽は私のすべてを内包しているからだ。音楽は、私の宇宙であり、私の呼吸であり、私の言葉であり、また他者との交わりであり、自己という贈り物だ。神は私にとってそれらすべて以上の存在であるように思ったのだ。
果して彼の演奏に、それほどの信仰心を感じ取れるかというと正直「否」だが(?)、それでもクープランの「修道女モニカ」などは確かに可憐な響きの内に敬虔な音調を醸しており、当時とても良い曲だと思った記憶がある。
少なくともアルバム収録の6曲を聴く限り、演奏そのものはポミエの演奏同様、とてもオーソドックスで、クラシック音楽入門編としては格好の出来だと思う(その昔、僕はこのレコードを繰り返し聴いて、音楽に目覚めていったのだった)。懐かしい。
グスタフ・マーラーは生涯「死」というものを怖れ、「死」と向き合い、生きた人だ。
「生は暗く、死もまた暗い」という「大地の歌」の有名なフレーズは、まさにマーラーその人の思想のあり方を表す慟哭の名旋律だと思う。
マーラーはあくまで彼岸には足を踏み入れていない。
此岸からの彼岸を想像し、とり憑かれ、交響曲という形式でもってそのことを表現したのである。だからこそ、彼の音楽には人間臭い表現がぴったりなのだ。
バーンスタインは、20世紀が死の世紀であり、また信仰を喪失した世紀だとし、そのことを予見し、嘆き、マーラーは第九を作曲したと考えた。確かにその通りなのだと思う。
そういうバーンスタインは、死というものを怖れることなく、想像以上に破天荒な生き方をした人だった。天才であったがゆえの苦悩もあったことだろう(彼はむしろ死と同化するために自虐的な生活を送ったのだともいえる)。
3種あるバーンスタインのマーラー全集は、いずれも特別だ。
個人的には晩年DGに録音したものを第一に推すが、もちろんブームの嚆矢となる60年代の最初の全集も素晴らしい。
40年近く前、当時出たばかりのレーザーディスクを手に入れ、心躍りながら、同時に、正座をするような、厳粛な思いで、彼の2度目の、映像を伴うマーラー全集の幾つかを観た。動くバーンスタインを観て、僕は感激した。
中で、エディット・マティスが独唱に抜擢された第4番ト長調が可憐で美しい。
いかにも天国的な音調の充溢する交響曲だが、第2楽章に不吉な「死の舞踏」を持ち、(マーラーの音楽の中でも屈指の)安寧に支配される第3楽章アダージョを経て、「天井の生活」を歌う終楽章に至る様子は、やはり(此岸から)「死」と真っ向から向き合った、そしてまた「死」と同化した傑作だ。
そういえば、その昔「大いなる喜びへの讃歌」などという邦題が付されていたが、なくもがな。言葉に惑わされるのでなく、マーラーの音楽そのものを(余計な先入観を忘れ)無心に堪能するのが一番だ。
・マーラー:交響曲第4番ト長調(1900)
エディット・マティス(ソプラノ)
レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1972Live)
先ごろ(2月9日!)亡くなったマティスの34歳のときの名唱!
(第2楽章でヴァイオリン・ソロを弾くのは当時32歳のゲルハルト・ヘッツェル!)
(バーンスタインの3種の4番の中で最初のグリスト盤かこのマティス盤か迷うところ)
(個人的見解では、古き良き時代を思わせるオーケストラの柔らかい響きという点でマティス盤に一日の長あり)
バーンスタインの、マーラーへの思いのこもった、粘りのある演奏については何も言うことなし。幾度聴いても新たな発見をもたらす名指揮。
〇 一念、一念とかさねて一生
端的只今の一念より外はこれなく候。一念一念と重ねて一生なり。ここに覚え付き候へば、外に忙しき事もなく、求むることもなし。この一念を守つて暮すまでなり。皆人、ここを取り失ひ、別にある様にばかり存じて探促いたし、ここを見付け候人なきものなり。さてこの一念を守り詰めて抜けぬ様になることは、功を積まねばなるまじく候。されども、一度たどりつき候へば、常住に無くても、もはや別の物にてはなし。この一念に極り候事を、よくよく合点候へば、事すくなくなる事なり。この一念に忠節備はり候なりと。
~三島由紀夫「葉隠入門」(新潮文庫)P160-161
真我から湧き上がる一念こそすべて。
二念、三念と継がぬことだ。
(三島も同じく此岸から彼岸を見ていた)
(自死の無念)
「音楽―未解決の問い」
グスタフ・マーラーの第9交響曲に関する講義
数年の休止の後、苦悩するマーラーに感化された私は、ハイドンとモーツァルトから始まった偉大な交響曲の円弧の最後の定点がマーラーだと直感しながらあらためてスコアを手に取った。ドイツ=オーストリア音楽史全体を自身の恐るべき方法で要約し、再び結びつけることがマーラーの宿命だったことを悟ったのだ。
しかしながら、私が仕事を再開した時、特に終楽章において予想以上に多くの解答を見出した(偉大な作品の研究をするといつもそういう結果になる)。最も驚くべき、そして重要な答は、(当時から世紀全体を照らし出すものであり)次のようなものだった。
私たちの世紀は「死の世紀」であり、マーラーはその音楽的予言者であったということだ。このことについて、ピアノもなく、視覚的資料もない、これまでと少し違った方法でお話ししよう。マーラーの第九は私たちに、「20世紀の危機」と呼んできたものの無限に拡大された解釈を示しているのである。
私たちの世紀はなぜこれほど死を意識するのだろう?
他の世紀についても同様のことが言えないのか?
その通りだ。
何世紀にもわたる人類の歴史は、生き残るための闘い、死の問題に取り組んだ長い記録の一つである。とはいえ、人類は地球規模の死、つまり絶滅という問題に直面したことはこれまで一度もない。そんなことを考えていたのは、マーラーだけでなく、フロイトやアインシュタイン、そしてマルクスらも同じように考えていたのだ。あるいは、シュペングラー、ヴィトゲンシュタイン、マルサス、レイチェルカーソンもそうだった。彼らはそれぞれ現代のイザヤ、ヨハネであり、それぞれが異なる言葉で同じことを訴えかけている。
「自らの内側を見よ。黙示録はまもなくだ」と。
また、リルケも「人生を変えよ」と言っている。
20世紀は端からあまりにひどい茶番のようなものだった。
第1幕:貪欲さと偽善が大量虐殺の世界大戦を引き起こす。戦後の不正とヒステリー、流行は衝突と独裁国家の誕生。
第2幕:またしても貪欲と偽善が大量虐殺の世界大戦を引き起こす。戦後の不正とヒステリー。流行は騒音と独裁国家。
第3幕:貪欲と偽善(私はこれを続ける勇気がない)。
では、解毒剤は何だったのだろうか?
実証主義、実存主義、技術革新、宇宙旅行、現実への欺瞞、そしてあらゆる場所に高度に文明化された偏執狂。個人的な解毒剤は、忍耐、麻薬、サブカルチャーとカウンターカルチャー、興奮、そして二日酔いだった。時間を浪費しての金稼ぎ、グルからビリー・グラハムに至るまで伝染病のように広がる新興宗教。
1908年の時点でこれらすべてを念頭に置いて、あなたなら何をするだろう?
もしあなたがマーラーのようにセンシティブならばどうするのか?
他の誰かが彼と同じ道を辿るであろうことを予言するかもしれない。
シェーンベルクとストラヴィンスキーは、音楽を進化させ、破滅の日を避けるため、正反対の方法で戦いながら生涯を過ごした。20世紀のあらゆる作品は、絶望や反抗、あるいはその両方の中から生まれたのだと言えよう。サルトルの「嘔吐」、カミュの「異邦人」、ジッドの「贋作師」、ヘミングウェイの「フィエスタ」、マンの「魔の山」あるいは「ファウストゥス博士」など考えてみよ。また、ピカソの「ゲルニカ」、キリコ、ダリ。
そして、映画「甘い生活」、戯曲「ゴドーを待ちながら」から、オペラ「ヴォツェック」、「ルル」、「モーゼとアロン」、ブレヒトの「母なる勇気」、そしてもちろん「エリナー・リグビー」、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」、「シーズ・リービング・ホーム」。これらはすべて絶望から生れ、死に動かされて作られた傑作たちだ。
マーラーはこれらすべてを予見していた。だからこそ彼は20世紀に生きることに必死の抵抗を示したのだ。死の世紀、信仰の終末などなど。1911年の早すぎる死によって、結果的に彼は20世紀から免れたが、それは皮肉ともいえる事実だった。
マーラーのメッセージは実際彼のあらゆる作品に感じ取れるものだ。「亡き子を偲ぶ歌」、「リュッケルト歌曲集」、マーラー自身の子どもの死。マーラー未亡人アルマは、アルバン・ベルクの「ヴォツェック」とヴァイオリン協奏曲を愛し、娘のマノン・グロピウスを愛していた。そう、すべては死とつながっているのだ。1935年のヴァイオリン協奏曲はベルクの最後の作品になった(彼はマーラーと同じ年、50歳で亡くなる)。
青年ベルクがマーラーの第九の演奏会に行ったとき、彼はウィーンにいる妻に「人生で最も重要な音楽を聴いたばかりだ」と書き送っている。
私がウィーンで、ナチスによって何年も禁止されていたマーラーの作品を演奏しようと闘っていたとき、高齢のベルク夫人は、リハーサルのたびに喜びの表情を浮かべ客席に座っていた。彼女とはまもなく知己を得、彼女はベルク、シェーンベルク、マーラーをつなぐ架け橋となってくれた。ニューヨークでのマーラー音楽祭のリハーサルに参加してくれたアルマ・マーラーも同様だ。そういう体験をしながら、私はマーラーの真のメッセージを受け取れるようになったのだ。
今日、私たちはマーラーのメッセージが何であったのかを知っている。
そのことを私たちにもたらしたのが、第九交響曲だったのだ。
それは不吉なメッセージであったがゆえに世界は聴くことを恐れた。これこそ、マーラーが死後50年間無視され続けた真の理由だ(この音楽は長すぎる、難しすぎる、大げさすぎるといういつも聞かされる言い訳は嘘)。
若きレナード・バーンスタインのマーラーにまつわる講義の抜粋、抄訳である。
1997年のザルツブルク音楽祭のハイティンク指揮ウィーン・フィルのコンサートで配布されたプログラムから引用、拙訳)。
今となっては少々古い解釈である感は否めない。
しかし、マーラー・ブームの火付け役となったバーンスタインの言葉は重い。
・マーラー:交響曲第9番ニ長調
レナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(1971Live)
ベルリン・フィルハーモニーでのライヴ。
もう何十年も前から鑑賞してきたこの映像が、4KでYoutubeにアップされているという奇蹟(大袈裟!)。言葉にならない感動がここにある。超絶名演奏!!