某評論家の言葉を鵜呑みにし、完全に無視していたカラヤンのブルックナー。
特に、第4番変ホ長調「ロマンティック」などいかにもカラヤン向きの楽曲で、その演奏は壮麗かつ濃厚で実に素晴らしい。今さらながらカラヤンの才能に快哉を叫びたい。
レコードの表記によればハース版使用とのことだが、音楽のアーティキュレーション、アゴーギク、テンポ設定など、どこをどうとってもカラヤン流の絶妙な改変が散見され、どうやらフェルディナント・レーヴェによる改訂版なども参考にしていることがわかる。豊饒なる、肉感的なブルックナーも(特に「ロマンティック」においては)ありだ。
・ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」(ハース版)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1975.4録音)
カラヤンの演奏はいかにも人間らしい、聴き応えのあるもの。
実演に触れたらば、さぞかし熱い、劇的な音の流れに卒倒したかもしれない。
それにまた、第3楽章トリオの静寂が何と可憐に美しく響くのだろう。
白眉は終楽章。いかにも技巧を凝らしたその表現はまったく人工的で、自然派ブルックナーの音楽を壊すものだと言えばそうだが、そのあたりをあえて受容し、虚心に耳を傾けたとき、そこには人智を超えた天と人との合一があることが不意にわかる。
交響曲第4番を作曲した頃、ブルックナーはウィーン大学の無給講師としての辞令を受けた。就任講演の内容が実に素晴らしく、やはり彼が只者ではないことがわかるが、その神髄を音化したのがカラヤンのブルックナーだったのではないかとさえ僕は思った(気のせいかも知れぬが)。
諸君もあらゆる情報を通じてご承知の通り、音楽はこの二世紀間に長足の進歩を遂げました。その内的有機体は拡大され、完全化され(その音素材の豊かさは注目に値します)、今日我々は、もはや完成の域に達した構築物の前に立っております。そこには部分間の確然たる構成原理と、構造の全体に対する部分の構成原理を認めることができます。一者から他者が生じ、一者もまた他者なしには存在せず、しかもそれぞれがここに完全である様を、我々はそこに見るのです。あらゆる学問分野の課題が、法則の確立によって素材に秩序を与えることであるように、音楽的学問(あえてこの付加語的表現を用いますが)もまた、その構造全体を原子にいたるまで分析し、その素材を一定の法則に基づいて分類し、それによって一つの教則を打ち立てております。ほかの表現を用いれば、それは音楽的建築学とも呼べるものであります。この教則においては、再び和声法と対位法という重要項目が、その基盤となり、その魂となるのです。
~田代櫂「アントン・ブルックナー 魂の山嶺」(春秋社)P127-128
野人ブルックナーのイメージを覆す内容に驚きを隠せない。
こういう思考の持ち主、つまり真理がわかっていた天才だったがゆえにフラクタルたるいくつもの交響曲が創造されたのである。
とにかく立体的で美しい。
そして、あまりに人間的で、それゆえにか弱い。